現在306件のアテルイ情報を掲載しております。

 平成18年9月17日、奥州市水沢羽田町羽黒山の<阿弖流為・母禮 慰霊碑>前において行われ、主催した阿弖流為・母禮を慰霊する会の会員や市民など約70人が参列した。出羽神社宮司による祝詞奏上、玉ぐし奉てんなどの神事が執り行われ、追悼の儀では相原市長が「新生奥州市が誕生し、初めての慰霊祭となる。アテルイ、モレの活躍は全国に知られている。郷土の先人の遺徳をしのぶとともに、その力をもって郷里の一層の発展に寄与したい」と述べた。式後には伊藤流行山鹿踊りが奉納された。慰霊する会ではこの日の慰霊祭に合わせ、うっそうと樹木が生い茂っていた周辺の間伐を実施し、政府軍が野営した衣川の地や胆沢城を一望できる環境も整えた。及川松右衛門会長は「市内を一望できる慰霊碑を中心にしたこの地を市の歴史公園に指定してほしいと運動を始めた。行政の力も借りながら、アテルイ、モレが愛した地を後世まで伝え残していきたい」と語った。午後には、水沢内のホテルに会場を移し、慰霊祭に参列した京都・清水寺の森清範貫主の法話と直会が行われた。森貫主の法話には市内外から約100人の聴講者が足を運び、ユーモアあふれる説教に耳を傾けた。直会の最後に、わらび座ミュージカル「アテルイ」で歌われた「日高見わがまほろば」を全員で熱唱し、来年の慰霊祭での再会を確認しあった。

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◆「子供の日」に野外映画会 平成17年5月5日、映画上映活動を展開するボランティア団体「フィルマズアテルイ」(菊池千賀子代表)が、初の活動として児童向けアニメなど3本の映画上映会を水沢市のみずさわ観光物産センター(Zプラザアテルイ)を会場に実施した。同団体の発足のきっかけは、中心市街地の活性化につなげようと平成15年6~11月の第二、第四土曜日に実施した長編アニメーション「アテルイ」の上映だった。同会は本年のこどもの日にも同会場でアニメの上映会を実施した。秋にはまたアニメ「アテルイ」を上映するという。
◆胆江神楽大会(胆江地方神楽振興協議会主催) 8月22日、水沢の日高神社神楽殿で開かれ、胆江各地から10団体約60人が出演。市立水沢南小学校神楽クラブは、アテルイと坂上田村麻呂の戦いを描いた創作神楽「アテルイの里」を舞い、会場から大きな拍手が上がった。
◆天空アテルイ体操の普及 平成14年にシンガー・ソングライターあんべ光俊さんが作曲した「天空アテルイ」に、水沢市の保険センターの職員が振り付けして創作した「健康運動天空アテルイ」の普及が進んでいる。同市では16年度から3ヵ年の普及推進を計画。2年目の17年度は11月末までに計272回にわたって実施、参加者数は10,352人に上った。講師を派遣する同市の「こっちゃ講座」、スポーツ大会、健康まつり、健康づくりリーダー研修会などで行われたほか、保険センターでの定例実技講習会、各公民館でも普及、定着に力が注がれている。一方で、看護学校が授業の一環として、養護学校では高等科の体育授業として導入した。財団法人日本公衆衛生協会はこのような活動を評価し、17年度の衛生教育奨励賞を贈った。
◆第7回あてるいカップ中学校バスケットボール交流大会 水沢市の市総合体育館を主会場に4月30日と5月1日の2日間の日程で開催され、岩手、宮城、秋田の3県から男女計42チームが参加した。
◆第4回羽田町 アテルイ 鋳とグルメまつり 10月16日、鋳物の町の秋の祭典として開催された。水沢の羽田町は北上川の東に位置し、延暦八年の「巣伏の戦い」の主戦場となったアテルイの勝利に関連深い地域。当日は「アテルイぼた餅」のサービスも行われた。
◆ストップ・ザ・交通事故「アテルイの里」作戦 平成17年5月18日に水沢警察署と県警本部が水沢暑管内主要幹線道路で展開した集中取り締り作戦。約3時間足らずで122件を摘発した。内訳は、無免許1件、速度違反31件、一時不停止20件、シートベルト不着用64件、携帯電話使用4件など。

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◆平成17年7月、胆沢町小山の阿部充子さん(69)による張り絵「義経伝記とふるさとの民話・伝説」展が同町若柳の胆沢ダム学習館で開かれた。その作品の中に水沢の伝記「勇者アテルイ」があった。
◆平成17年11月30日まで、水沢市高屋敷の佐藤龍夫さん(67)が面・獅子頭の個展をめんこい美術館で開催した。佐藤さんはアテルイ没後1200年を記念し新旧2つの「アテルイ面」を制作しており、アテルイの顔をかたどった木彫りのループタイも展示された。
◆平成17年11月26日から前沢町古城地区の文化祭が古城公民館で始まり、同地区の岩淵時雄さんが趣味で作った能面50点が飾られた。そこには木目を生かしたアテルイとモレの面も並んだ。

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 平成17年5月19日、東北古代史を研究している宮野英夫氏(盛岡市在住)が盛岡市内で開催された「文化サロン」(主催:NPOいわてシニアネットなど)で「アテルイの謎に迫る」と題し講演した。
 平成17年6月4日、胆江6市町村合併期成同盟会主催の講演会「もっと胆江の歴史を知ろう」が行われ、岩手県文化財愛護協会会長で元岩手県立博物館長の金野静一氏が「新陸奥物語~アテルイと田村麻呂~」の演題で講演した。

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 物語は延暦21年に降伏したアテルイとモレが処刑されようとするところから始まる。それは劇団わらび座ミュージカル「アテルイ」の処刑シーンと重なる。舞台はそれから四年後の江刺の里。アテルイの姉の子として登場する珠姫(あくだま姫)を軸にストーリーが展開されるという。平成17年の5月号からスタートし、3ヶ月おきに6回の連載が予定されている。

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 昨年9月の衆議院選挙を前に、立候補者の横顔が紹介された。報道各社の共同インタビューに、小沢氏はアテルイにもふれた。「古代アテルイにも親近感を持つという」(『河北新報』)「古里の偉人では第一にアテルイをあげる。「中央の権力の一方的な行使に対する地域の反乱。今だって同じだ」。」(『岩手日報』)「郷土の歴史的人物の中で一目を置くのはアテルイだ。「だって子孫だもの」と表情を緩ませる。「大和朝廷の統一は必然だったが、中央集権体制は、中央の物差しや都合で計る。それは今も同じだ」と、朝廷に立ち向かったアテルイと自分とを重ね合わせる。」(『胆江日日新聞』)

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 阿弖流為・母禮慰霊碑建立実行委員会が発掘調査を進めていた羽黒堂古館跡で、アテルイが活躍した時代の八世紀後半(奈良-平安時代)とみられる土師器片が出土した。同破片は「へらみがき」という技法で仕上げられ、表面と裏面の両方が黒くいぶされた「内外黒」になっており年代判定の手がかりとなった。
 調査は慰霊碑建立に際しての予備調査として、日本考古学協会員である及川洵同実行委員会副会長を調査団長に8月から9月までの2ヶ月間実施された。当会の会長でもある及川洵氏は「アテルイの碑の基礎部分から同時代と思われる土師器が出たことに縁を感じる。01年の羽黒山市民発掘でも八世紀後半に近い土器片が出ているので、伝承だけでなく史料的にもアテルイ関連の地と裏付けられたのではないか」と語っている。

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 平成17年8月21、22日の両日に横浜市で開かれた全国中学校文化祭において岩手県矢巾町矢次の矢巾北中(生徒431人)の3年生61人が県代表としてオリジナル群読劇「アテルイ」を上演した。わらび座のミュージカルを参考に生徒が中心になって創作したもので、上演時間は約40分。

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 劇団わらび座のミュージカル「北の耀星アテルイ」が、ミュージカル専門誌『月刊ミュージカル』の04年ミュージカルベストテンで10位にランクインした。同コンテストは東京を中心に全国上演されたミュージカルを対象にしており、「屋根の上のバイオリン弾き」(東宝)「南十字星」(劇団四季)「ウエストサイドストーリー」(フジテレビほか)など、著名作品がランクインした中、堂々10位に入った。
 同誌の中で、演劇評論家の岩波剛は「(日本人のオリジナルミュージカルを待望するものとして)アテルイは願望をかなえてくれた一作。舞踊、音楽、動きにそれ(ブロードウエィ打破への意欲)は脈動する収穫になった」と高く評価している。

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 およそ90劇団の応募から12団体が選出されて行われた大阪市主催の演劇祭(3月~6月)で、中島かずき作の「アテルイ」(第47回岸田戯曲賞受賞作品)がエレベーター企画によって上演された。平成17年4月28~30日の3日間の4回公演で、大阪港の巨大倉庫に設営された劇場が会場となった。同作は平成14年に新橋演舞場で市川染五郎がアテルイ、堤真一が坂上田村麻呂という豪華キャストで上演された<劇団☆新感線>の代表作。

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 平成17年4月15日から「侵入・ヤマトの暗雲」(4回)、6月24日から「反乱・北の民の目覚め」(4回)、8月17日から「決戦・北上川燃ゆ」(4回)、9月28日から「征夷・夷をもって夷を制す」(4回)、平成18年1月14日から「血脈・まつろわぬ民の足跡」(4回)、2月20日から「もうひとつの日本」(6回)として長期にわたってとりあげた。「蝦夷」の題字の下には鹿島神宮蔵の「阿弖流為首像」の写真。
「決戦・北上川燃ゆ」では延暦八年の戦いの勝利からアテルイの投降までを新たな視点も加えて叙述。シリーズ最終回は、<延暦八年の会>の佐藤秀昭会長と安彦公一氏がアテルイへの思いを語っている。

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 平成17年3月28日の夕刊。連載「歴史のかたち」に、「悪路王の首像をみる」を特集した。鹿島神宮所蔵の「悪路王の首」を紹介しながら、「悪路王のモデルは蝦夷だったのだ。阿弖流為(アテルイ)という名の今の岩手・胆沢地方の族長だったと言われる。」と、延暦八年の巣伏の合戦など、アテルイについて詳しくとりあげた。当会副会長の佐藤秀昭氏(延暦八年の会会長)、同伊藤博幸氏(現水沢市埋蔵文化財調査センター所長)のコメントも載っている。

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◆アテルイ・モレ等エミシの慰霊祭
 平成17年8月15日に当会も共催団体となり行われた。午後2時から江刺市の各地区(田原・耕田寺=アテルイ、藤里・愛宕山広場=人首丸、米里・米里地区センター=人首丸、梁川・大岳丸顕彰碑前=大岳丸)においてそれぞれ慰霊を行った後、午後4時より本会場の<えさし藤原の郷>において慰霊祭が行われた。今回が11回目となった。
◆京都清水寺でアテルイ・モレの慰霊法要
 11月5日、関西アテルイ・モレの会(小瀬川操一会長)主催による、<古代の英雄アテルイ・モレの記念法要>が行われ、水沢市からの高橋光夫市長や川辺賢治水沢地方振興局長ら25人の慰霊訪問団を加え約70人が参列した。清水寺境内に建立された顕彰碑の前に祭壇が設けられ、穏やかな秋晴れの下、森清範貫主ら4人の僧侶が読経、参列者は焼香して碑に手を合わせた。顕彰碑は1994年に建立され、毎年この時期に供養法要が行われる。法要後の直会には大阪府枚方市の中司宏市長が駆けつけ、「アテルイ慰霊碑を首塚附近に建立することを考えている」との話題を提供した。

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 アテルイに由緒ある「跡呂井」地区と巣伏の戦いの舞台となった「四丑」地区の住民95人が会員。平成14年度のキラリ輝くまちづくり推進事業をきっかけに活動を開始し、15年度からはアテルイの史跡の場所を紹介する看板と標柱の設置に取り組んだ。看板の文字は補助金で専門業者に依頼したものの、看板の柱や枠それに標柱はすべて手作り。材料のスギ、ヒバも地区の人からの提供、標柱の文字入れから設置まで会員が仕事の合間を見つけての作業ということで、三年がかりでこのほど完成した。案内板は水沢東バイパス沿いの四丑橋近くと物見櫓近くに設置され、「アテルイ生誕の地跡呂井」と刻まれた標柱は神明神社前に立てられた。

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 平成17年9月11日、水沢市の跡呂井地区で「アテルイ歴史の里まつり」が行われた。神明社境内を会場に式典が行われ、「アテルイ王記念碑」に拝礼、婦人連が「アテルイ音頭」を奉納した。その後、アテルイが五万余の朝廷軍を打ち破った巣伏の戦いを再現した<アテルイ巣伏の戦い大勝利凱旋武者行列>が勝ち鬨をもって出発、約40人の行列が地区内を練り歩いた。跡呂井町内会などが主催するこのまつりは三年に一度開催され、今回で6回目となった。

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 平成17年(2005)9月17日の「アテルイの日」、現奥州市水沢羽田町の羽黒山頂出羽神社神域に<阿弖流為 母禮 慰霊碑>が建立され、午後1時半から<入魂並びに除幕式>が行われた。除幕式に先立ち、同神社境内では記念の郷土芸能発表会として北天太鼓(前沢町)、鶯沢神楽(羽田町)、伊藤流行山鹿踊(同)、鋳物太鼓(同)が協賛奉納された。式典にはアテルイとモレが処刑された地とされる大阪府枚方市からの関係者や関西アテルイ・モレの会会員ら約二百人が参列した。入魂の儀では枚方市にある首塚から採取した土や碑建立寄付者の芳名簿を碑の下に安置。及川会長、高橋光夫水沢市長、相原正明江刺市長、清水寺森貫主らが地元の子供たちと紅白の綱を引き除幕した。慰霊碑は高さ約3メートルの黒御影石製。清水寺の森清範貫主が「阿弖流為 母禮慰霊碑」と揮毫した。碑の脇には高さ1.2メートルの碑誌が立てられた。
 羽黒山は延暦八年(789)の「巣伏の戦い」でアテルイが朝廷軍を破った古戦場の一部と考えられている。参列者は地元で初めての慰霊碑に合掌し、郷土の英雄に思いをはせた。建立実行委員会の及川松右衛門会長は、「アテルイをはじめとする蝦夷と言われた人たちのレジスタンスは、自主独立の気運や戦争の愚かしさを伝えている。今後も顕彰活動を続けていきたい」と挨拶。森貫主は「郷土の英雄を回向する真摯な気持ちで揮毫した。地域を超えて交流し、古代文化を継承し発展させていきたい」と話した。
 アテルイとモレの慰霊碑は、京都の清水寺に建立されてすでに10年余が経過した。しかし地元の胆江地方には慰霊施設がないことから、「二人の魂を岩手に戻そう」と当会の及川洵会長をはじめとする有志によって「阿弖流為・母禮慰霊碑」建立実行委員会を結成。平成16年11月には枚方市の首塚から分霊し、清水寺で慰霊祭を開催。この間、建立のための募金活動を続けることにより五百万円を超える浄財が寄せられていた。今後は、この慰霊碑を中心に地元の慰霊祭も毎年行われることになり、アテルイの顕彰活動など各種の取組みもより活発に展開されていくことが期待されている。

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◆水沢市ラグビーフットボール協会は、同協会傘下のクラブチーム4チームを統合し、新組織「阿弖流為R・F・C水沢」を結成させ、トップチーム「ATERUI・BRAVES・MIZUSAWA」、セカンドチームを「阿弖流為ドリーム水沢」、サードチームを「阿弖流為倶楽部」の名称にすることを決めた。東日本クラブ選手権県代表を目指す。【胆江日日新聞16.4.13】
◆水沢市健康づくり推進協議会は、16年度健康づくり関連事業実施計画を協議し、新規導入の健康運動の普及として市が独自に創作した健康体操「天空アテルイ体操」の普及などを確認した。【胆江日日新聞16.4.15】
◆第6回あてるいカップ中学校バスケットボール交流会は、5月29、30日に岩手、宮城、秋田、青森の4県から男女各24チーム、計48チームが出場して、水沢市と江刺市を会場に熱戦を繰り広げた。【胆江日日新聞16.5.29】
◆水沢市のYOSAKOIグループ「幻夢伝」は、札幌で行われるYOSAKOIソーラン祭り出場にあたり、水沢市駒形神社においてアテルイをテーマにした勇壮な創作舞踊を奉納した。【岩手日日新聞16.5.30】
◆第3回アテルイ杯カヌー・ゴムボート川下り大会が、NPO法人北上川中流域エコミュージアム推進会議の主催により、北上川を会場に8月8日に開催された。古代の英雄アテルイにちなんだ大会で、ゴムボート77艇、カヌー15艇が参加した。【岩手日日新聞16.8.10】
◆学習研究社編『週間日本川紀行』15号は「北上川」で、直木賞作家の熊谷達也さんが「阿弖流為(アテルイ)」を語っている。【河北新報16.8.16】

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 平成16年8月15日、岩手県江刺市のえさし藤原の郷で<アテルイ・モレ等エミシの慰霊祭>が行われた。アテルイ・モレ等エミシを慰霊する会(岩崎景助会長)が主催、当会と延暦八年の会が共催するもので、今回で10回目。開祭の詩朗読、献灯、玉串奉奠などが行われ、相原江刺市長が追悼の辞を述べ、岩谷堂農林高校の生徒による鹿踊が奉納された。
 8月20日には、枚方市片埜神社において縄文アテルイ、モレの会(松永憲生代表)主催による<阿弖流為・母礼らの縄文慰霊祭>が行われた。こちらも今回が10回目の開催だが、今後は4年毎に実施するとのこと。
 9月12日午後2時からは、当会の会員でもある杜かじかさんの呼びかけで、アテルイの慰霊祭が枚方市の片埜神社で行われる。奉納費千円ほどお持ちくだされば嬉しいとのこと。なお、京都清水寺において毎年行われているアテルイ、モレを供養する法要は11月6日の午後3時から実施される。今年は<阿弖流為・母禮之碑>建立10周年にあたり、地元から鹿踊りの一行を派遣、奉納することなどが計画されている。当会も碑の建立者に名前を連ねており、多くの会員の参加が望まれる。

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 秋田県田沢湖町を拠点とする劇団わらび座のミュージカル「北の燿星アテルイ」が、原作者の高橋克彦氏と㈱北斎企画によって録画収録され、約二時間のDVDに編集された。平成16年5月27日には、当会の呼びかけにより、DVDの完成試写会が水沢市文化会館Zホールで開かれ、高橋克彦氏のほか、わらび座の劇団員も駆けつけ、大画面に再現されたミュージカルに感動を新たにした。その後には、市内のホテルに会場を移して交流会を開き、DVDの感想やアテルイへの思いなどを語り合った。
 このミュージカルは、高橋克彦氏の『火怨』を原作とし、中村哮夫氏が演出したもので2002年8月から今年の3月まで全国で444公演し、各地で好評を博した。アテルイ没後1200年を記念しては、水沢市における上演を皮切りにし、全国公演にあたっては京都清水寺で成功祈願の奉納、最終公演は江刺市において行われている。高橋克彦氏は、県内の小中学校などに寄贈し、活用していきたい、と話している。

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 青森のねぶた祭りに「阿弖流為」のねぶたが登場した。千葉作龍作の「北の炎・阿弖流為」で、サンロード青森の製作。何年か前には「悪路王」のねぶたがあったと思うが、アテルイは初めての出陣。平成16年8月2日の『読売新聞』一面の「編集手帳」がそのことを取り上げている。全文を紹介する。
 青森市出身の版画家棟方志功が「世界一の火祭り」と評した青森ねぶた祭が今日から始まる。歴史や神話を題材にした人形型の大灯ろうに明かりをともし、市内を練り歩く。
◆太鼓や笛の勇壮な囃子に合わせ、何万人ものハネト(踊り手)がラッセラーと叫んで飛びはねる。浴衣とたすきのハネト衣装で踊っていた作家の中上健次さんに感想を聞いたのは二十年近く前のねぶた祭の夜だった。
◆「自由で単純で開放的で。これは縄文の祭りに違いない」。出身地の和歌山県新宮市の御燈祭に通い合うところがあるとも語っていた。今年は、その縄文文化を継承した東北の原住民である蝦夷の一首長、阿弖流為を描いたねぶたが登場する。
◆胆沢地方(現在の岩手県水沢市)を本拠地とした阿弖流為は、大和朝廷の北進に激しく抵抗したが、八0二年、征夷大将軍の坂上田村麻呂に降伏、処刑される。水沢市出身の衆院議員の小沢一郎さんは演説で時折この故事に触れ、「被支配者から見れば歴史は一変する」と説く。
◆阿弖流為は今も東北人の誇りなのだろう。ねぶたは、田村麻呂が蝦夷征伐の際に用いた戦術だったという説がある。今回は、この敵将にちなんだねぶたも運行される。東北人は懐が深い。
◆千二百年の時を超えて両雄相まみえ、漆黒の空を焦がす。縄文の鼓動が響いてきそうだ。

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 岐阜県高山市で、「スクナとアテルイ」をテーマにしたイベントが開催された。飛騨の高山には『日本書紀』に記述がある両面宿儺(りょうめんすくな)が古代の英雄として伝えられており、共通する面をもつアテルイとともに取り上げたもの。平成15年9月25日から10月5日まで企画展、9月28日には「二人がもたらす新時代の光」をテーマにシンポジュウムが開催され、水沢市から延暦八年の会会長の佐藤秀昭氏がパネリストとして参加して意見交換をした。

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 京都市交通局のポスター「市バス・地下鉄ぐるっと発見、人権ゆかりの地をめぐる」に、冬の清水寺の写真とともに、北天の雄阿弖流為・母禮の碑の写真が掲載され、(財)世界人権問題研究センター監修による京都人権啓発推進会議の「えみし」と「阿弖流為・母禮」に関する説明文。その最後は「...坂上田村麻呂は阿弖流為らの才能を高く評価しました。今、阿弖流為・母禮を顕彰する鎮魂の碑が、坂上田村麻呂が開基したと伝えられている清水寺境内に立っています。」

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 平成15年8月9日付の15面に、「英雄アテルイに脚光」と題して、アニメ映画アテルイが7月から道内各地で上映されていること、9月からはミュージカル「アテルイ」の道内公演も行われるとし、これまでほとんど顧みられることがなかったアテルイが注目されていることについて大きくその意義を取り上げた。また、翌日の日曜版の「みちを歩く」(1、2面)では、「大和朝廷と戦ったアテルイの地」として、"延暦八年の英雄伝説"を佐藤秀昭氏(延暦八年の会会長)の現地案内で写真を交えて詳しく紹介した。

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[1]アテルイ杯争奪県南地方囲碁大会
 昨年12月に第3回大会が行われ74人が参加し熱戦を繰り広げた。今年も...。
[2]第5回アテルイ杯高校生サッカー大会
 8月10、11日に16チームが参加して水沢市で開催された。1位は遠野高、2位は東北朝鮮高級学校、3位はFCみやぎユースと新屋高。
[3]第2回プールフェスタ「球彩祭」阿弖流為カップ
 岩手県内のビリヤード愛好者による大会で、決勝トーナメントは12月1日。

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 水沢市の不動産情報バンクは、不動産を小口の証券化し投資家から資金を調達する特定目的会社(SPC)を7月に設立した。資産流動化法に基づくもので、東北では初という。その社名は「アテルイ特定目的会社」。 

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 江刺市教育委員会が発掘調査している同市愛宕の新川Ⅲ遺跡から、県内最古と見られる7世紀後半の畑跡が見つかり、7月20日に現地説明会が行われた。同遺跡は広瀬川東岸の休耕田にあり、調査面積950平方メートルのうち、畑跡は六区画分計約500平方メートルの広さ。7世紀後半、8世紀後半、9世紀初頭とみられる三つの地層の土壌分析の結果、各層からイネ科植物の葉に含まれるガラス質のプラントオパールが見つかり、陸稲栽培を長い間繰返していたことがわかった。調査を担当する同市埋蔵文化財調査員の及川洵氏(当会会長)は、「蝦夷はコメを作り生活し、アテルイもコメを食べていたことになる。蝦夷は貧しい生活をしていたとみられてきたが、そうでないことを証明することになる」と話している。

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[1]岩手大学拡充整備促進期成会公開科学講演会
 2月3日「北の将星アテルイ」伊藤満(漫画家)
 「仏像造形を通して見た蝦夷と仏教文化について」田中惠(岩手大学教授)
[2]アニメ「アテルイ」製作上映運動推進一関・西磐井の会主催講演会
 4月13日「大墓公アテルイと東北三十年戦争」伊藤満(漫画家)
[3]水沢市羽田地区高齢者学級「志村大学」歴史講座
 5月24日 「アテルイの郷にロマンを求めて」安彦公一(胆江新聞編集委員)
[4]江刺市えさし郷土文化館歴史講座
 5月26日「アテルイとその時代」及川洵(アテルイを顕彰する会会長)
[5]アニメ「アテルイ」製作上映運動推進北上の会主催講演会
 6月15日 「北の将星アテルイ」伊藤満(漫画家)
[6]千厩町十四年度町民大学「メオトピアカレッジ」第1回講座
 6月「アテルイの戦いと古代エミシの社会」女鹿潤哉(県立博物館学芸調査員)
[7]水沢市常盤公民館郷土史セミナー「アテルイを知ろう」
 7月2日、23日 「アテルイ(前編、後編)」佐藤秀昭(延暦八年の会代表)
[8]岩手県文化財愛護協会、県教育弘済会主催「文学歴史伝承講座」
 7月16日 「大墓公アテルイと田村麻呂」金野静一(元県立博物館長)
[9]第50回岩手県公民館大会(水沢市文化会館)記念講演
 8月1日 「アテルイ(阿弖流為)と現代」一力一夫(河北新報社社主)
[10]釜石市郷土資料館、釜石民話の会主催郷土学習会
 8月24日「アテルイ没後1200年」 金野静一(元県立博物館長)
[11]江刺市立岩谷堂公民館主催「郷土研究セミナー公開講座」
 9月11日 「大墓公アテルイと田村麻呂」金野静一(元県立博物館長)
[12]一関市厳美町本寺地区教育講演会
 9月11日「東北の古代・アテルイの時代」伊藤満(漫画家)
[13]岩手県、京都県人会主催アテルイ没後1200年記念講演会
 10月27日 「蝦夷と北天の雄」 三好京三(直木賞作家)

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 平成14年11月10日、前沢町で開催された。モレを取り上げた初めてのシンポジウム。パネリストは一力一夫氏(河北新報社社主)、佐藤秀昭氏(延暦八年の会代表)、宮野英夫氏(えみし学会員)の三人で、直木賞作家の三好京三氏がコーディネーターを務め、「母禮」という名前をどう読むかなどについて取り上げた。シンポの前には、水沢民族舞踊サークル「たけのこ」による創作太鼓「母禮」が披露されたほか、母禮の似顔絵と三好京三作「母禮物語」読書感想文コンクールの入賞者表彰が行われた。

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 平成14年10月19日、奈良文化会館国際ホールにおいて、歴史街道推進協議会と奈良新聞社の主催で開催された。シンポのタイトルは「古代の東北と畿内~黄金ロードから、東北の強者アテルイまで~」で、アテルイが取り上げられている。第1部:ビデオ上映「古代東北・蝦夷の世界」(水沢市埋蔵文化財調査センター制作)、基調講演「知らざれる古代史~大和政権と東北との劇的関係」講師豊田有恒氏(作家)、第2部:パネルデスカッション パネリスト:豊田有恒氏(作家)井上満郎氏(京都産業大学教授)工藤雅樹氏(福島大学教授)浅川 肇氏(元禰宜/談山神社相談役)コーディネーター:中路正恒氏(京都造形芸術大学助教授)。10月18日付の奈良新聞は同シンポジウムを大きく取り上げ、アテルイを中心に紙面の三面を割いて詳しく紹介した。この企画は当日の司会を務めた杜かじかさんが奔走して実現させたもの。

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 花巻地区の「わらび座の『アテルイ』を鑑賞する会」が、アテルイ没後千二百年をミュージカルの鑑賞だけに終らせないためにと企画した。第1回(平成14年6月19日)[講師] 牛崎敏哉(宮沢賢治イーハトーブ館)「岩手とアテルイ」、第2回(7月21日)[講師] 瀬川司男(鑑賞する会会長)「アテルイと田村麻呂の史跡探訪」、第3回(8月17日)[講師] 相澤史郎(東海大学名誉教授、詩人)「悪路王伝説と田村麻呂伝説の起源」、第4回(9月23日)[講師] 山折哲雄(国際日本文化研究センター所長)「いま、なぜアテルイなのか」、第5回(10月19日)シンポジウム「私たちにとって、"東北"とは何か」[パネリスト] 斉藤彰吾(元北天塾副塾頭)門屋光昭(盛岡大学教授)、佐藤秀昭(延暦八年の会代表)。花巻市文化会館を会場として開催されたが、水沢市以外の場所でアテルイをテーマにした講座をこれだけ連続して開催したのは初めてのことであろう。

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 記念講演会は8月11日に水沢市の佐倉河公民館で開かれ、前岩手大学教授の高橋崇氏が「坂上田村麻呂と胆沢城」と題して講演した。高橋氏はアテルイに関しても研究しており、水沢に来てふれないわけにはいかないだろうと、いくつかの問題点を紹介し、関心を呼んだ。水沢市埋蔵文化財調査センターを会場に開催された連続講座では、8月24日の第1回に新野直吉氏(前秋田大学長)が「私と東北古代史とアテルイ」と題して講義した。これまでの著書でアテルイを取り上げてきた内容を詳細に紹介し、最初にアテルイを取り上げた本を出版したときには「国賊だと非難された」ことなども振り返った。そのうえで、「現在アテルイがあるべき座標を得て認められるに至ったのは、岩手県民のアテルイ顕彰の機運が高まったからだ」とこれまでの運動の取組みを評価した。

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 平成14年9月14日の午前10時から午後4時まで、≪延暦八年の会≫主催により水沢市の商工会館大ホールにおいて開催され、約二百人が参加した。◇基調報告[1]今泉隆雄氏(東北大学教授)「律令国家とエミシ~エミシ支配の基本政策~」、[2]熊谷公男(東北学院大学教授)「古代蝦夷の生業と社会構造~蝦夷の戦闘能力を手がかりとして~」◇研究報告[1]武田佐知子氏(大阪外国語大学教授)「律令国家と蝦夷の衣服」、[2]樋口知志氏(岩手大学助教授)「延暦八年胆沢の合戦の再検討」、[3]伊藤博幸氏(水沢市埋蔵文化財調査センター副所長)「水沢地方における7・8世紀蝦夷社会の構造」◇シンポジウム「アテルイとエミシの時代」(司会:今泉隆雄氏)

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 当会の会員でもある杜かじかさんが6月に開設した"アテルイふぁんサイト"。"アテルイを通じた関西と東北(岩手)の交流"を掲げる行動派だけに、アテルイ関連イベントには必ずといってよいほど参加していて情報も豊富。HPで彼女の思いや活動を知るのも楽しい。「1200年の恨みなどを乗り越えて、地域同士の新しい交流が生まれることが、アテルイの「心」に応えることではないだろうか。」とは、"かじかさんのつぶやき"。

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 インターネット情報検索HPヤフー・ジャパンが、9月16日に行われたアテルイ没後1200年記念グランドステージの様子を取り上げた新聞記事の紹介を17日午後2時から18日未明まで掲載した。そのため普段は2,000件程度のアクセスが、17日だけでなんと47万件余りに上ったという。同HPは実行委員会の委託を受けてNPO法人アテルイビレッジネットワークが作成、管理しているが、委託期間以降もアテルイHPとして有志による継続を検討したいとしている。同HPのアドレスは、http://www.aterui.jp/

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[1]木村倶子著『ひらかた昔ばなし六 田村麻呂と阿弖流為 熱い友情』 枚方市伝承文化保存懇話会事務局、枚方市市民生活部文化観光課発行の木村さんの手作り冊子。木村さんの文は手書きの挿絵と同じようにほのぼのとしていてやさしさにあふれている。裏表紙には「田村麻呂と阿弖流為・相手のよさを知り深い友情を育てよう」の文も記されている。この「ひらかた昔ばなし」は、枚方市の(人口40万6808人)『広報ひらかた』1036号(9月1日)にも掲載された。
[2]水沢市社会科副読本『アテルイの里』 水沢市教育委員会がアテルイ没後千二百年を記念して作製し、市内の小学生4年生以上と中学生全員に配布した。A4判、八ページで、アテルイの歴史をわかりやすく、コンパクトにまとめたもので、郷土理解を深める学習教材として活用される。
[3]胆江青年懇話会『創作シナリオ・北の耀星~アテルイ~』(2002.7) アテルイ没後千二百年記念として作成されたもので、京都市の有済小学校の児童が演じたアテルイをテーマにした創作人権劇の台本を若干手直しして発刊した。冊子は五百部作製され胆江管内の小学校、子供会育成会などに配布された。
金ヶ崎町立西小学校の6年生14人が創作劇に取組み、10月26日、同校の学習発表会で上演した。

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[1]久慈力著『蝦夷・アテルイの戦い』(批評社2002.7) 前編が「エミシとは何か」、中編が「大和朝廷とは何か」で、後編が「アテルイの戦いとは何か」。その小見出しに、「アテルイは謀略によって拉致された」「桓武、田村麻呂、公家による騙し討ち」「百済亡命者の根拠地にアテルイは封殺された」と見えるように、田村麻呂の「善意」を信じないとし、「彼は国史の編纂者同様、老獪な渡来人である。」という認識に立つ。そして、「ヒタカミ大戦争はエミシ側の勝利」ということもできる、という。筆者は「むじくれ・天の邪鬼」を宣言。
[2]佐藤秀昭・文『アテルイ』(岩手日報社2002.7) 長編アニメ「アテルイ」のストーリーブック。映画を監修した佐藤秀昭氏(延暦八年の会代表)の文で、最初に歴史的背景を「アテルイが活躍したころ」として、わかりやすく説明している。A5判、百ページ、千二百円。
[3]中島かずき著『アテルイ』(論創社2002.8) 8月に新橋演舞場で上演された市川染五郎主演『アテルイ』の台本。「日の国若き時、其の東の夷に蝦夷あり。彼ら野に在りて、未だ王化に染はず。山を駆けること禽の如く、草を走ること獣の如し。かの長の名は阿弖流為。帝、これを悪路王と呼び、邪しき神姦しき鬼と怖れたり。」 この最初に掲げられた文章からして、的確な切り口からする展開の面白さを十分に予感させるし、実際にも期待を裏切らなかった。
[4]千葉周秋編著『エミシ・タムラマロ伝説』(自費出版2002.9) 前半にエミシと田村麻呂に関する東北各地の伝説302編、後半に岩手県内の寺社などに伝わるエミシ伝承を地域別にまとめた。A5判278P、2千円。

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[1]『週間 ビジュアル日本の歴史 奈良から平安へ5』(デアゴスティーニ2001.12) 第四章 呪われた桓武朝 のFOCUS で、「桓武天皇こだわりの蝦夷征討大作戦」を検証。第五章 中央政権への蝦夷の反抗 には「朝廷軍を手こずらせた謎の蝦夷総帥・阿弖流為」の見出しでアテルイについて詳しく紹介している。
[2]『週間 再現日本史 原始・奈良10』(講談社2002.3)ニュース・ファイル「『国家鎮護』と女帝」(目録752~793)の1ページ目には悪路王首像の大きな写真を背景に"大和政権の蝦夷侵攻と城柵"の図があり、「●アテルイ、勝つ!(延暦8年6月3日)北上川中流で、五万人余の政府軍にゲリラ戦を挑んだ蝦夷軍が、大勝した。写真は、首長・アテルイがモデルと伝わる悪路王の首像」との説明文がある。"歴史瓦版"の発見のコーナーでは、岩手発として「蝦夷・阿弖流為の砦か 巣伏の古戦場で遺構発掘」との見だしで昨秋実地した羽黒山市民発掘の成果を紹介している。  
[3]『ふうらい』(六花舎2002.4) "フィールドワークで岩手の謎に挑む"という季刊誌で、特集に「鬼(エミシ)紀行」を組んだ。表紙には悪路王首像の横顔のアップ写真。紀行そのⅠ「誇り高きエミシの魂は、永遠に生き続ける。」(文◎高橋政彦)は、アテルイを軸にした内容(8ページ)になっている。 
[4]『歴史読本』4月号(2002.4) 3分で読める歴史ドラマ≪れきどくショートショート専科≫に、読者の松平稲五郎さんが投稿した「古代みちのくの英雄」が掲載されている(2ページ)。「...それから半年ほど経った年の暮れ、襤褸のような衣を纏った坊主が、アテルイとモレの晒し首の前にきて額ずいた。...坊主は涙を流して謝っている。この坊主こそ誰あろう、かつての征夷大将軍坂上田村麻呂の成れの果てであった。」で、お終い。
[5]『トランヴェール』6月号(2002.6) JR東日本が発行している旅情報誌。「みちのく歴史紀行・その名は阿弖流為」の大特集が組まれた(18ページ)。アテルイの人物像などに触れているほか、水沢市埋蔵文化財調査センターの伊藤博幸副所長が延暦八年の戦いの想定図や、各地の遺跡の出土品から東北古代の社会について解説、後半は「アテルイの面影を旅する」と銘打ちアテルイに関係した歴史スポットをたどるモデルコースを紹介している。同誌はJR東日本管内を走る特急グリーン車内で無料配布されたほか、駅売店で三百円で販売された。
[6]『NEXT Stage 』Vol.31(2002.6) 季刊の"いわて就職情報誌"で、橋本祐子さんが「【アテルイブーム】現代の岩手に息づく蝦夷の英雄の物語」を書いている(2ページ)。
[7]『歴史街道』6月号(2002.6) 中津文彦氏の「東北の英雄・アテルイが「逆賊」にされた本当の理由」が載っている(7ページ)。アテルイは「朝廷への帰順を申し出、そのかわり徴税システムを守ってほしい、と訴えたかったのではないか。」とし、その訴えを一蹴した朝廷は、「黄金さえ手に入ればよかった。できるだけ多くを収奪できれば、陸奥国の安定などはどうでもよかったのだ。」とする。それが"本当の理由"?。
[8]『 Basic 』第56号(2002.7) 「アテルイ(阿弖流為)・1200年目のメッセージ。」として、記念事業の多彩な内容とアテルイ顕彰の取組み経過などを紹介(4ページ)している。同誌は一関市の㈱平野組が発行している"くらしと文化の地域情報誌"。
[9]『岩手経済研究』9月号(岩手経済研究所2002.7) 巻頭の"やまびこ"に、新田清二水沢商工会議所会頭が「アテルイと田村麻呂、歴史文化の中に新たな胎動」を寄稿している。アテルイ没後千二百年にふれ、「アテルイを通じたコミュニティとチャレンジを梃子として、地域の再生を果たしたい」という。
[10]『地域づくり』第158号(2002.8) 財団法人地域活性化センターが発行する"地域活性化のための情報誌"。そのトピックスに水沢市を取り上げ、同市社教課の佐久間氏が「没後千二百年でイベント目白押し、アテルイを英雄として評価」のタイトルで取組みの内容を紹介(1ページ)している。

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 平成14年7月1日発売のビジネスジャンプ増刊『ビージャンこん』№7(集英社)に掲載された58ページの長編漫画。歴史的には「呰麻呂の反乱」までで終っているが、ストーリーに工夫が見られ、今後の続編が期待される。池田氏は水沢市内に在住していて、『ビジネスジャンプ』に「BAR来夢来人」を連載しているプロの漫画家。

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[1]蕨手刀のペーパーナイフ 水沢鋳物工業協同組合が製作した。約10cmほどの長さで細く小さいが、刃の部分に"阿弖流為"と彫ってあるのがうれしい。六百円。
[2]鋳物風鈴 水沢市羽田町の及勘鋳造所が、アテルイ没後・胆沢城造営1200年を記念してアテルイと坂上田村麻呂の顔をかたどった鋳物風鈴を製作した。製品名は「福鈴アテルイと田村麻呂」。一個の大きさは高さ7㌢、幅5㌢、奥行き4㌢で、重さは約200㌘。下地が金色でできており、アテルイは黄緑、田村麻呂がやや青味がかっている。販売価格はセットで千五百円。どちらもユーモラスな表情だが、どういうわけか、田村麻呂が鉢巻をしているのがご愛嬌。

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[1]和紙人形アテルイ 金ヶ崎町に"さわはん工房"を構える澤藤範次郎さんが製作した成島和紙を使った張り子。馬にまたがり、ヤリを構えるがどこか人間臭く親しみやすい。高さ14㌢、幅12㌢。澤藤さんは平成4年に兵を踏みつける大型のアテルイ人形を製作し、東北ふるさと物産展最高位の東北通算局長賞を受賞した。
[2]繭細工人形アテルイ 盛岡市の村田民芸工房の村田三樹二郎さんがアテルイ没後千二百年を記念して製作した。槍を持った木片の胴体に繭細工の愛きょうたっぷりの頭をのせた体長約10㌢のかわいい人形。
[3]樹脂製ミニ胸像型のアテルイと田村麻呂人形 水沢市駅通りのチャレンジショップ「あきんど考房21」に出店している"ペーパームーン"の福島研一さんが製作にとりかかり、試作品を完成させた。高さ12㌢、幅8㌢。両人形ともなかなかの出来あがり。価格は一個千円。福島さんはアテルイ手拭も製作した。 

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 アテルイ没後千二百年にあたり水沢菓子組合が企画・共同開発した最中で、アテルイと田村麻呂の顔をキャクター化して最中の皮に使用している。組合に加盟する六店が製造、中の餡子は各店で工夫しそれぞれに異なっている。10個入り千円。

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平成14年11月9日、関西アテルイ・モレの会(「関西アテルイ顕彰会」を改称、安倍満穂会長)主催により清水寺の「阿弖流為・母禮之碑」前で行われた。当会の及川洵会長ら水沢市からの一行42人を含め約90人が参加した。なお、水沢市からの一行は前日に枚方市の片埜神社を参拝、アテルイらの埋葬地のひとつに疑定されている神社隣の牧野公園の首塚を視察した。地元自治会の皆さんや枚方市職員、市会議員の出迎えと歓待を受けて大感激、今後の交流を約した。片埜神社からいただいた資料の「伝・アテルイとモレの首塚」には、現在の首塚が公園となる以前には神社神域の宮山と呼ばれる山の中(30メートルほど東の位置)にあったことが記されている。

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 平成14年9月16日、今年5月に発足した「母禮をたたえる会」(千田明会長、会員231人)の主催により、前沢町母体地内で行われた。会員や地元住民、鈴木一司町長ら80人が出席し、前沢詩吟会がモレの功績を題材とした詩吟を披露、読経と焼香などが行われたほか、直木賞作家の三好京三氏も講話した。アテルイだけでなく、モレも顕彰していきたいという趣旨はいいのであるが、慰霊祭が行われた場所は「モレの屋敷跡と伝えられているところ」という。モレの本拠地は母体にあったのではないかという説はあるものの、「モレの屋敷跡」とは驚くばかりである。これまで、そんな言い伝えがあったとは聞いたこともなかったが、ぜひとも詳しいことを知りたいものである。

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「縄文アテルイ・モレの会」(松永憲生代表)主催による第8回目の日高見大戦戦没者慰霊祭で、平成14年8月23日に枚方市の片埜神社に隣接する牧野公園で行われた。会員、関西アテルイ・モレの会、枚方市の市民生活部長ら約50人が参加し、神事に加え、「川村アイヌ民族記念館」(旭川市)の川村シンリツ.エオリパック.アイヌ館長によるアイヌの先祖供養「イチャルパ」も行われた。

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 平成14年8月15日、同慰霊祭実行委員会(岩崎景助会長)主催により江刺市の歴史公園えさし藤原の郷を会場に開催された。今年が8回目で、及川勉江刺市長ら約50人が出席、劇団わらび座俳優による「日高見わがまほろば」の独唱や地元高校生による鹿踊りが奉納された。当会名誉顧問の一力一夫氏(河北新報社社主)、及川洵会長らが出席した。

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 平成14年9月16日、アテルイ没後1200年記念事業実行委員会主催により水沢市文化会館で開催された。式典では、アテルイ顕彰活動者表彰が行われ、一力一夫氏(河北新報社社主)、三好京三氏(直木賞作家)、延暦八年の会(佐藤秀昭会長)に賞状が授与された。アトラクションでは、アニメ「アテルイ」のラッシュ上映、わらび座「アテルイ」ショートステージが行われた。会場にはアテルイ最期の地である枚方市の中司市長も姿を見せ、ステージに上がって水沢市長らと固い握手を交わした。

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 平成14年9月14日、「アテルイ没後千二百年」の黄色のノボリが林立する駅通り商店街で、「アテルイ古代まつり!」と銘打ったイベントが行われた。毎月開催している「駅通り楽市」の会場で、アテルイ没後1200年記念事業に合わせて企画したもの。古代米を使用したクルミ入り田楽、おこわの試食会などがその内容であった。

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 平成14年9月14日、水沢市の跡呂井町内会などの主催による"アテルイ歴史の里まつり"が開催され、アテルイ軍が延暦八年の戦いで朝廷軍に大勝利し凱旋するシーンをイメージした武者行列が行われた。このまつりは三年に一度開催されていて今回が5回目となる。アテルイ役に扮して乗馬した後藤水沢市長を先頭に、蝦夷武者姿の住民ら総勢150人が跡呂井地区周辺6キロのコースを練り歩いた。なお、同地区婦人連40人による「アテルイ音頭」の踊りも東大通のアテルイ公園など6ヶ所で披露された。

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