情報202 岡田茂弘・青木和夫編『多賀城と古代東北』

 吉川弘文館の<古代を考える>シリーズ全26冊の最新冊で、アテルイら蝦夷の時代を中心とした古代東北史研究の現状と問題点を提示している。2006年9月発行、本体定価3000円。内容は次のとおり。 
 一新しい古代東北史像を求めて―総論― 青木和夫、岡田茂弘、二多賀城前史 須藤隆(東北大学教授)、三城柵の設置 岡田茂弘(国立歴史民俗博物館名誉教授)、四多賀城発掘 進藤秋輝(宮城県考古学会会長)、五掘り出された文字は語る 平川南(国立歴史民俗博物館館長)、六天平産金と国分寺 桑原滋郎(多賀城市文化財保護委員会会長)、七東北の社会と律令制 笹山晴生(東京大学名誉教授)、八 東北の動乱 伊藤博幸(奥州市埋蔵文化財調査センター館長)、九俘囚長と藤原氏 新野直吉(秋田大学名誉教授)
 アテルイに関係する部分の記述を以下に紹介する。岡田茂弘氏は、アテルイの名前が出てくる『日本紀略』延暦21年の記事を取り上げ、その公姓である「大墓公」に「おおばかのきみ」と訓じている。平川南氏は、「延暦期の征討」を取り上げ、「延暦七年三月には、陸奥国内に命じて、軍粮三千五百余斛を多賀城に運び込ませ、さらに広く東海・東山・坂東諸国から歩騎五万二千八百余人を徴発し、翌年三月までに多賀城に集合させることにした。この時の戦いは蝦夷側が総帥阿弖流為の指揮のもと、政府軍に大きな打撃を与えた。政府は敗北と断定し、責任者を処分した。しかし、実態は紀古佐美の報告に「いわゆる胆沢は、水陸万頃にして蝦虜生を存す。大兵一挙して、忽ち荒墟と為る。余燼縦い息むとも危きこと朝露の如し」とあるように、政府軍の被害に対しての責任回避の面を無視できないが、長期の戦乱によって蝦夷側の被害も甚大であったろう。また報告の中の「軍入りしより以来春夏を経渉して、征軍輜重(軍需品の運搬)並びに是れ疲弊せり」という部分には、政府軍の疲れがよく表現されている。」と記述している。 
 笹山晴生氏は、「八世紀末の戦乱」を取り上げ、「桓武朝の征夷は、要した年月といい、その規模といい、前後に例をみないもので、桓武天皇が長岡・平安両京の造営とともに、国家の威信をかけて行った事業であった。五万数千人の兵を動員して行われた延暦八年(七八九)の征夷は、阿弖流為の率いる蝦夷の軍との戦いで死者1061人という大敗を喫して失敗した。その後政府は、大量の軍粮の貯備や武具の充実をはかった上で、同十三年、十万余の軍兵をもって再征し、副将軍坂上田村麻呂の活躍で、ようやく胆沢の地の平定に成功した。この上に立って、同二十年には坂上田村麻呂が征夷大将軍として陸奥に赴き、翌年胆沢城を築城、阿弖流為は田村麻呂のもとに投降した。同二十二年、田村麻呂はさらに北進して今の岩手県盛岡市の地に志波城を築き、北上川中流域の支配の安定がはかられた。」と記述している。
 伊藤博幸氏は、古代東北の動乱を宝亀・延暦・弘仁の三期に分け、アテルイが登場する時期を「延暦期の大戦争」として、史料により詳細に検証を加えている。アテルイに関係する部分は、胆沢遠征の準備始まる~第一回延暦の遠征~胆沢の合戦~古佐美軍兵を解く~第二回胆沢遠征への対応~第二回延暦の遠征~田村麻呂の施策~第三回遠征と胆沢城造営~阿弖流為の降伏、の小項目で経過を追って記述されている。この中で、延暦八年の胆沢合戦について、「蝦夷は河東に集結しているという逆の情報操作を行ったらしく、政府軍はこれをもとに、渡河作戦を練ったと考えられる」が、この「陽動作戦は蝦夷にとって賭けであった」と、次のように推定している。「考古学的にみると、河西一帯の胆沢扇状地は八世紀蝦夷の一般集落と農業生産地帯である。水沢段丘上一面にはこの時期の集落が大・小の遺跡となって分布しており、対岸の北上山地にこのような集落は認められていない(伊藤博幸「胆沢城と古代村落」『日本歴史』第215号)。もし、この河西を戦場にすれば軍勢や戦法からみても政府軍とでは勝算はないに等しく、仮に対等に交戦しても、その代償に人家と耕作地が破壊されては、蝦夷自身の存立基盤そのものが失せてしまう。蝦夷の長老たちはこのように分析したであろう。この指示を受けて、蝦夷の戦闘集団は前述の情報を流布する作戦を立て、河東に主力があると思わせた。」また、アテルイの降伏については、「胆沢の地の消耗は大きく、これ以上戦っても犠牲が増大するだけというのが、蝦夷側の判断だったと推定される。政府としても、政治的課題が山積しているいま、いつまでも蝦夷の全部を敵にして戦うわけにはいかず、現地との妥協策を練る必要があった。そして蝦夷の主戦力である武装集団を解体すれば、抵抗は緩和ないし消散し得るとの判断から、阿弖流為らの懐柔策に乗りだしたのである。これ以上の推定は危険だが、田村麻呂は彼らに帰降を進め、それが奏功して先の結果となったのである。」としている。