跡呂井(アトロイ)の地

準備中

昔、安土呂井村
奈良時代、岩手県内の蝦夷の最大遺跡
1996年9月から発掘調査が進められていた水沢市の杉ノ堂遺跡(跡呂井二ツ壇地区)
奈良時代の焼失住居跡五棟が発見された。

「胆沢の合戦」大パネル「胆沢の合戦」大パネル

平成10年(1998)5月16日、水沢市(現奥州市水沢)花園町の花園ポケットパークに設置された。
中一弥画「胆沢の合戦」(河北新報社所蔵)は、延暦8年の巣伏の戦いで、馬上で指揮をとるアテルイ とエミシ軍が朝廷軍を北上川に追い落とす場面を描いている。
1980年秋に河北新報社から水沢市にその拡大パネルが寄贈され、跡呂井の地名が残る花園町に 設置されていたが、傷みが目立ってきたことから、ポケットパークの整備にあわせて水沢市が県補 助と河北新報社の協力を得て移設、新調した。当会は記念にシダレザクラを寄贈し植樹した。

アテルイ王記念碑アテルイ王記念碑

平成元年(1989)年9月、水沢市(現奥州市水沢)跡呂井地区町内会が町内の神明社境内に建立。
アテルイ率いる蝦夷軍が五万を超える朝廷軍を撃破した「巣伏の戦い」から千二百年目となることを 記念して、石碑には「古代東北の英雄 アテルイ王千二百年祭記念碑」と刻まれている。
3年に一度開催される「アテルイ歴史の里まつり」は、この碑の前での神事から始まる。

北方の王者アテルイ像北方の王者アテルイ像

平成4年(1992)10月20日、水沢市(現奥州市水沢)常盤地区のストリートシンボルとして製作され、 東大通り三丁目のアテルイ広場の西奥に設置された。
表面に抽象化したアテルイの顔が描かれた大火炎土器の形状で、 高さ約6m、上部直径約3m、下部約2mの円筒形。夜間は赤い目が光るようになっている。
市内の及川哲夫氏の制作で「北方の王者アテルイ」の題名がある。

阿弖流為の郷碑阿弖流為の郷碑

平成6年(1994)5月24日、東水沢地域振興協議会により、水沢市(現奥州市水沢)東大通り三丁 目の「アテルイ広場」の前面に建立された。
石碑は台座を含め高さ1.8m、横2.15mの黒御影石。
表面に後藤晨水沢市長の揮ごうで「阿弖流為の 郷」と刻まれ、裏面にはアテルイ広場の説明と地名(跡呂井)の由来などが記されている。
この石は当会が京都清水寺への碑石候補として大東町の首藤哲夫氏より寄贈を受けていたもので、 同氏の賛意を得て寄贈した。

アテルイ生誕の地の標柱アテルイ生誕の地の標柱

水沢市(現奥州市水沢)の四丑地区の住民95人で組織するアテルイ河川歴史公園を推進する会 が、平成15年(2003)からアテルイの史跡の場所を紹介する看板と標柱の設置に手作りで取り組み、 3年がかりで完成させた。
この「アテルイ生誕の地 跡呂井」と記された標柱は、神明社(奥州市水沢神明町)境内に設置され ている。