情報284 BSプレミアム「英雄たちの選択」

「英雄たちの選択」は、2013年5月からNHKのBSプレミアムで毎週木曜日に放送されているもので、歴史に名を残した人物が人生の選択に迫られた際に抱えたであろう葛藤に着目した歴史エンターティメント番組。
5月26日の放送が、「衝突!その時 男は何を見た 征夷大将軍・坂上田村麻呂」のタイトルで、アテルイの降伏をめぐる田村麻呂の選択がテーマとなっていた。

平安遷都を行った桓武天皇の時、遷都と並ぶ国家プロジェクトが東北の蝦夷(えみし)の制圧だった。
大きな期待を背負い戦った坂上田村麻呂は、蝦夷のリーダー・アテルイを降伏させることに成功する。
しかし田村麻呂はアテルイから助命を要請される。
朝廷の大反発が予想されるなか命を救う行動にでるか、それとも処刑やむなしと突き放すのか、田村麻呂の苦悩に迫るという興味深い内容。

司会は歴史家の磯田道史(国際日本文化研究センター准教授)とNHKアナウンサーの渡邊佐和子、出演はレギュラーコメンテーターの宮崎哲弥(評論家)にゲストコメンテーターの赤坂憲雄(民俗学者・学習院大学教授)、里中真智子(漫画家)、鈴木拓也(歴史学者・近畿大学教授)の各氏。

「延暦21年4月、アテルイは副将モレとともに胆沢城に姿を現した。自らを後ろ手に縛り降伏を申し出てきたのである。田村麻呂そして朝廷の悲願が達成された瞬間だった。田村麻呂は二人を伴い平安京に凱旋する。ところがその時、田村麻呂はアテルイから思いもかけない言葉をかけられる。「命を救ってほしい。そのかわり残る仲間たちを説得しよう」。それは朝廷を恐怖に陥れた敵将の言葉としては、にわかに信じがたいものだった。」

「アテルイの申し出をどう受け止めるべきか、田村麻呂の心の内に分け入ってみよう。アテルイの言葉は確かにまたとない申し出だが、ここは冷静に考えてみるべきだ。なかなか朝廷に屈しなかったアテルイを無条件に信じていいものだろうか。望みをかなえたところで裏切る可能性は十分にある。蝦夷たちの怒りはまだ完全に収まったとは言えない。とはいえアテルイは蝦夷たちを率いた族長、そのアテルイを処刑すればすでに服属した蝦夷たちが怒りの声をあげる恐れもある。アテルイを生かし交渉役として東北に帰せば未だ小競り合いを続ける蝦夷たちを懐柔する有効な手段であることも確かだ。アテルイは自らの命を差し出し降伏してきた、その覚悟は誠実の一言に尽きる。ここはアテルイの申し出に賭けてみるべきか。」

「実はアテルイにまつわる興味深い事実がある。それは朝廷側の歴史書に登場するアテルイの名前には「大墓公(おおはかのきみ)」と書かれているのである。」

【熊谷公男(東北学院大学教授)】「アテルイの本名は「大墓公阿弖利為(おおはかのきみあてりい)」といいます。「公(きみ)」というのは姓(かばね)というもので、これは天皇から授かるものです。だからアテルイの一族であってもある時期には中央政府側に服属していた。うまく説得できれば、また中央政府側につくことになるかもしれない、というのは考えるわけです」
【渡邊】「みなさんが田村麻呂の立場だったら、どちらを選択されるでしょうか。」

【宮崎】「私は申し出を信じます。彼は武人であり官吏ですから、朝廷側の財政状況も、遷都と度重なる侵攻によって苦しくなっていた台所事情も知っていた。アテルイは朝廷との戦いで部族をまとめてきた。そういうことを評価して、帰属していない蝦夷たちを服属させることができると。ここは信用してアテルイにかけてみようと、これは合理的な答えであると思います。」
【鈴木】「私もアテルイを信じる。古代の降伏は相手に対して自分の身柄を生かすも殺すもあなたの自由です、そういう態度を表明して初めて降伏が成立する。アテルイは処刑を覚悟で降伏してきている。その言葉は信ずるに足りる重いものだ。」
【赤坂】「アテルイを信じるというよりは、それこそが田村麻呂の心の声だったと思う。戦争を収めて蝦夷の部族連合みたいなのを解体して、むしろもっと平和な暮らしの中に戻っていくためにアテルイとモレが彼らを説得する、それはむしろ田村麻呂も望んでいた「声」だったのではないか。」
【里中】「信じたいと思います。おそらく田村麻呂とアテルイとのあいだには信頼関係があったと思う。だから、当然信じます。ですが田村麻呂は想像を絶するような心境だったと思う。せっかく国が莫大なお金をかけて、犠牲を払ってやっと降伏してきた、それを信じて放すとはなにごとだと、坂上田村麻呂は敵と通じて国を裏切る算段があるのではないかと、変なふうに勘ぐられないか。そのように利用されないか。そういう危惧がある。」
【宮崎】「最も政治的に利用されやすい。故郷に帰したあとに、もしアテルイが再び反乱を起こしたら、田村麻呂の政治的命とりになる。この人はエリート街道を実力で昇ってきた人です。そういう人が、あえて逸脱的なことをやるというのは、大変な葛藤があったと考えられます。」
【磯田】「アテルイを信じるのはかなりむずかしい。このとき桓武天皇の政権というのは、目に見える勝ちを欲している。都に降伏したアテルイを連れてきて、衆人環視のもとに公開処刑する、これほど目に焼き付けられる勝利はないわけです。それを田村麻呂がアテルイを信じて故郷に戻すというのは相当にむずかしい選択にならざるをえないだろうという想像はつく。」

田村麻呂は決断を下し、アテルイの助命を嘆願するが、公家たちは驚愕、猛反発し、アテルイとモレは処刑された。みずからの命を差し出し散ったアテルイ、その無念の死を田村麻呂はどんな思いで受け止めただろうか。

【宮崎】「田村麻呂は優れた武人であると同時に優秀な官僚だ。自分の主張が受け入れられないということは分かっていただろう。それでも生かしておきたいという判断をした。切りすててしまうのはあまりにも惜しいという、戦士の誉れ、そういうものが彼の中にあった。それが官僚としての答えを超えさせるような主張につながったというふうに想像します。」
【赤坂】「坂上田村麻呂という武将が東北において伝説になりえたのは、田村麻呂のこの逡巡した姿だったかもしれないと思いたい。朝廷の貴族たちにはまったく理解できない蝦夷に対する理解や同情というようなものを持っていた人だ。だからアテルイやモレに対する尊敬がゆえに逡巡したという、こういう場面というのはものすごく重要だと思う。」
【鈴木】「アテルイの処刑は、田村麻呂の助命嘆願に()(ぎょう)が反対しその結果実施となっていますが、これは桓武天皇の本人の意向と考えて間違いない。しかし田村麻呂の意見は孤立した意見だったのではないことがわかってきた。田村麻呂には共感者がいる。公卿たちの発言を『日本紀略』が引用するさいに「(しか)るに公卿(くぎょう)執論(しつろん)して」とあって、「執」の字を使っている。この記事を書いた人は、公卿は頭が固い、固定観念にとらわれている...とみている。言い換えれば田村麻呂の意見のほうが正しいと...。」
【里中】「私はずっとこのくだりは不思議でした。本当にアテルイがそう言ったのか。むしろ田村麻呂が仕掛けたのではないか。アテルイは命をかけてみずから降伏したのに、今さら生かしてほしいとか言うはずがない。これは想像だが、田村麻呂がアテルイに相談し、おまえとモレを故郷に帰すから、そのかわり故郷をおさえてくれないかと。それをアテルイからの申し出ということによって説得力を増そうとしたのではないか。」
【磯田】「私はブラック田村麻呂というのも想像してしまう。全部、はかりごとだったかもしれない。アテルイが「命を助けてくれ」と、あれだけの英雄が言うわけがないと私も思う。アテルイのカリスマ性を破壊できる、命乞いをしている情けない男にできる。そのあと自分が助命嘆願したら、アテルイの元仲間たちにも自分は頼れる将軍ということにもなる。うまくいったらアテルイとモレを自分の支配に使える。うまくいかなくても桓武天皇がこれを処刑して、おまえよくやったと手柄になる。どこにも損はない。これは武略として最善手だ。」
【宮崎】「田村麻呂は桓武の意向に反することを言いながら、桓武の不興を買うこともなく官途を昇りつめていく。そうすると磯田説というのも、そういうことも、あるかもな、と思う。」
【磯田】「私はこういうことを思いつくのはイヤだった。人物造形からすると、田村麻呂いい人で終わりたかった。でも、やったかもしれない。主人公はいい人だということで終わらせたいのですがね。基本的には。」