情報279 阿弖流為・母禮之碑建立20周年記念法要

平成26年11月8日、平成6年11月に清水寺南苑に〈北天の雄 阿弖流為 母禮之碑〉を建立して20周年の記念法要が営まれました。
午前9時、仁王門横の広場で伊藤流行山鹿踊りと京都市の岩崎伝京都鬼剣舞を奉納、碑前に移動して笛師の森美和子さんが篠笛を奉納。
午前11時より森清範貫主と大西眞興執事長他一山の僧侶が総出仕されて記念法要が営まれました。
関係者総勢150余名が参列し、多数の観光客が見守るなかでの法要でした。

12時からは円通殿で森貫主により、関西アテルイ・モレの会の故高橋敏男初代会長、故安倍満穂第二代会長、他二名、アテルイを顕彰する会の故藤波隆夫初代会長、故一力一夫顧問、故佐々木盛副会長、故小河原淳事務局、故佐々木隆男前胆江日日新聞社社長の建碑に尽力された物故者の追善供養の法要が営まれました。
その後、森貫主の法話をいただき、松坂定徳会長から関係者への謝辞がありました。
「20年前は雨降りの中で碑の除幕式を執り行いましたが、今日は天気にも恵まれ、このように多くの参列者にお越し頂き、感激の至りであります。特に奥州市の皆様には遠くから駆けつけて下さり、常に励まされての20年間でありました。長い間には中断しそうな時期もありましたが、会員の皆様に励まされ、役員の皆様に支えられて今日を迎えることができました。心より感謝申し上げます」とのご挨拶でした。
午後1時からは会場を洗心洞に移して懇親会が行われました。
中締めの後、当会の有志がエミシの出で立ちで登場、安藤睦夫作詞作曲の「ああアテルイ」とわらび座のミュージカル「アテルイ」から「日高見我がまほろば」を熱唱すると、会場が一体となったごとくに大いに盛り上がり、最後は来年の再会を約してすべてを終了しました。

今回の法要には岩手日報社の東根千万億社長が初参加し、翌日の紙面には大きく記念法要の特集が組まれ、これまでの顕彰活動や清水寺の思いなどが紹介されました。
森貫主は記者の「なぜ碑の建立を快諾したのか」等のインタビューに、次のように答えています。
「田村麻呂公はアテルイ、モレを京都に連れてきて朝廷に助命の嘆願をしている。残念ながら大阪府枚方市で処刑されたが、2人の供養について真剣に考えた。清水の観音様に、敵も味方もなくみ霊の供養をしたというのが清水寺の始まりだ。だからこそ、碑を建ててもらうことが大本願の心に添うことだと思った。」
「これはアテルイ、モレの鎮魂の碑だ。それまでは碑らしいものはできておらず、一般の人は名前を知らなかった。1200年の歴史でアテルイ、モレにこれだけ光が当たったのは初めて。歴史の観点が変わってきた。先祖に対する思いを地元関係者がしっかり持って、努力してきたということだ。」
「碑ができたことで親しく交流を重ねている。これも田村麻呂公のご縁だと思う。歴史は単なる時間の経過ではなく、その時々に息吹を吹き込むことが大事。その点でアテルイ、モレが人々の意識の中によみがえり、顕彰されたことは大きい。縁をもらった私たちがこれを代々伝え、発展させることで、京都と岩手の人たちの交流をさらに重ねていきたい」。

また、延暦八年の会の佐藤秀昭会長は「ひとこと」の欄で、「感無量だ。関西と奥州で一緒に検討しながら浄財を集めたことが思い出される。建碑を機にアテルイの講演会やシンポジウムを開いたり、教科書でも取り上げられるようになったため、子どもたちも学べるようになった。今後も次世代に活動をつなげていきたい。恩讐を乗り越えて顕彰しようという清水寺の協力に感謝したい」と語っている。