情報261 井沢元彦『伝説の日本史』第1巻

 第1巻は神代・奈良・平安時代で、~「怨霊信仰」が伝説を生んだ~の副題がついている。神代の卑弥呼に始まる23人で、坂上田村麻呂と阿弖流為が入っている。坂上田村麻呂の項では、「異民族である蝦夷の族長「アテルイ」という大英雄...」というように蝦夷=異民族とし、789年の巣伏の戦いを概説するが、征東将軍紀古佐美が「四千人の主力軍に衣川を渡らせ...」云々と、北上川とすべきところを「衣川」にしている。また田村麻呂が築いた胆沢城を「城郭都市としての城」「長安同様、人間が住む街を柵や城壁で囲んだ城塞都市」「都市そのものを城壁や柵で囲んだ城壁都市」だったとの考えを示している。いずれも誤りであろう。
 「怨霊信仰」に関わることでは、「田村麻呂が降伏してきたふたりをその場で殺さずに、京まで連行したのは命を救うためなのに、政府はふたりを殺してしまったことです。ふたりは非業の死を遂げたわけですから、本来はふたりの怨念、怨霊が祟るわけです。ところが朝廷はこのアテルイとモレの怨念や魂に対して、鎮魂をした形跡が何もないのです。...日本神話でアマテラスは、異民族と思われるオオクニヌシから「国譲り」を受け、オオクニヌシの鎮魂のために巨大な出雲大社を造りました。しかし、東北の異民族であるアテルイとモレたちを鎮魂したという形跡は全くありません。ここからわかることは、これは嫌な言い方ですが、大和民族にとって祟るのは人間であって、アテルイとモレたちを人間ではなく、動物のように見ていたのではないかということがいえるわけです。」とし、『逆説の日本史』での見解と同様のことを述べている。そして、「もっとも現在では、そういうことはあまりに酷いのではないかということで、...京都の清水寺に阿弖流為・母礼の顕彰碑が建てられています」と紹介。
 阿弖流為の項では、アテルイ、蝦夷を「彼らは間違いなく異民族だった」と強調するぐらいで、伝説に関することにはひとつも触れないてしまっている。がっかり。〔光文社、2012年11月発行〕