情報247 関祐二『新古代史謎解き紀行 消えた蝦夷たちの謎』

 著者は歴史作家で、大胆な推理で数多くの著作がある。著者は、蝦夷征討の第一の目的は律令制度を広め、領土を拡大することにあったとしつつも、その裏側には「蝦夷とも関係をもっていた」大伴氏に「東」を討たせることにより、両者の力を徐々に削いでいった藤原氏の策謀があったとする。そのうえで、「阿弖流為の恭順を引き出したのは坂上田村麻呂であったが、この人物は蘇我氏の懐刀・東漢氏と同族であり、やはり藤原氏にとっては油断ならない氏族であったろう。けれども、藤原氏がほぼ朝堂を支配した平安時代、かつての「親蘇我系豪族」「親東国政権の末裔」たちは、生き残りのために人並み以上に手柄をあげねばならぬ宿業を負っていく。坂上田村麻呂の鬼神のような活躍は、反藤原派豪族の苦悩の裏返しであり、彼らの葛藤、その無念の思いはわれわれの胸を打つ。その一方で、坂上田村麻呂は「せめて、蝦夷の恭順を引き出し、両者が共存する道を探りたい」と願ったにちがいない。そして阿弖流為は、坂上田村麻呂が、かつての「親東国政権の末裔」だからこそ、説得に応じたのだろう。けれども都で阿弖流為を待っていたのは、藤原政権の非情な仕打ちであった。」と推理している。また、著者がもし東北歴史博物館の館長になったら、次の日からホームベージを書き換えるという。「東北人にとっての本当の「戦後」とは、阿弖流為が都で処刑されたあとを指すのであります。つまり、博物館の名称を「阿弖流為顕彰館」にあらためましたのは、東北人の矜持であります。憤怒であります。都人、都の貴族に対する、いまだに消えぬ怨念なのです。...」 〔ポブラ社、2010年5月発行、1,470円〕