情報132 中路正恒著『古代東北と王権』( 講談社現代新書 )

 サブタイトルは、「日本書紀」の語る蝦夷。蝦夷の綾糟が服属した問題などの徹底的な検討から、独自な征夷の歴史解釈を試みていて興味深い。第八章が、「アテルイと田村麻呂」で、アテルイの坂上田村麻呂への投降の意味が探究されている。以下、アテルイに直接言及した部分の一部を紹介する。
「わたしには、政府が、伊治城を築き、武力による制圧の路線をとりはじめて以降、王化を慕っての蝦夷の帰服ということはもはや存在しなくなっているように見えるのである。後の延暦二十一年(八0二)の、胆沢の蝦夷を代表する阿弖流為らの投降にしても、決してみずからの土地の独立を守る戦いが誤りだったと考えたためではなく、土地の同胞たちを飢え死にさせないための最終的な選択として、やむなく国家への帰服を選んだものに見えるのである。そのような帰服の場合、たとえ自身は一陣の夢と散ったにしても、同胞たちの間には、みずからへの誇りと、独立の気概が、どこかに、いつまでも残るものなのである。」
「この投降には、田村麻呂の方からのさそいかけもあったことであろう。しかし、もはや対等の戦いができなくなっていることは事実であったろうし、たとえ田夷というよりは山夷というべき生活をしていたとしても、うち続く戦乱のために生活の疲弊にはおびただしいものがあったであろう。意欲の点でも、この延暦二十年までくれば、終息することなく数年ごとに征軍を送ってくる敵に対して、果てしなく戦いを続ける気力は、もはや相当に乏しくなってきていたことだろう。そして、...田村麻呂をはじめとした陸奥国の為政者が、夷俘の誇りを尊重し、その生活の維持の配慮をしてくれるものであれば、あえて戦う必要はもはやないと思えてくるであろう。こうしてアテルイらは降伏してくるのである。」