情報77 新野直吉著『ジュニア版古代東北史』(文献出版)

「征夷軍と阿弖流為」「田村麻呂と阿弖流為」の項目がたてられている。その中からひとつを紹介する。
新野氏は、アテルイとモレの二人のことを「二虜」と史籍に表記していることから、「初めから斬られても不思議のない捕虜だったのだと受け止める向きもあります。しかしそれは違うようです」と自説を述べている。
【1】.斬刑が相当の罪人なら陸奥の現地か、上洛しても都の東西市で処刑されたはずで、河内国で斬られたというのは正常な状態で斬られたのではない。【2】.田村麻呂は初めから捕えたり殺したりする気はなく、彼らに故郷で仲間の朝廷に帰一する気持の醸成に当たらせるべきだと主張していた。【3】.ところが公卿らの強引な説が通り、そこで初めて捕らえられ河内国で斬られた。それまでは二人は全く自由の身であった。というのである。 「「虜」の文字は罪人で捕虜になった者の意味ではなくて、「虜軍・虜将・虜酋・虜人」等という用法の、「昔時、北方民族に対する蔑称」などと辞典に書かれるような「蝦夷=えびす」の意味なのです。」と結んでいる。