情報64 網野善彦『日本社会の歴史(上)』(岩波新書)

列島に展開した地域性豊かな社会と「国家」とのせめぎあいの歴史を、社会の側からとらえなおして叙述した通史という。 著者は本書の「はじめに」で次のように述べている。これまでの「日本史」は、日本列島に生活をしてきた人類を最初から日本人の祖先ととらえ...、そこから「日本」の歴史を説きおこすのが普通だったと思う。いわば「はじめに日本人ありき」とでもいうべき思い込みがあり、それがわれわれ現代日本人の歴史像を大変にあいまいなものにし、われわれ自信の自己認識を非常に不鮮明なものにしてきたと考えられる。事実に即してみれは、「日本」や「日本人」が問題になりうるのは...七世紀末以降のことである。それ以後、日本ははじめて歴史的な実在になる...。このような問題意識に立つ著者の、アテルイに関係する記述が以下である。
「七八八年(延暦七)、紀古佐美を征東将軍とし、東海・東山両道、あるいは坂東諸国から五万余の軍勢を動員し、東北との本格的な戦争が開始されるが、これを迎え討った東北人は、翌年、首長阿弖流為の巧妙な戦術によって、北上川で日本国の軍勢を包囲、大打撃を与えて撃退した。」
「七九四年...東北での戦争の勝報が伝えられた。東北の首長たちのあいだに、日本国の軍勢に徹底して坑戦するか、あるいは服従して日本国の国制のなかで地位を得る道を選ぶかをめぐって内部分裂がおこり、これに乗じて坂上田村麻呂は多くの東北人を斬殺し、胆沢の占領に成功したのである。」
「八〇一年(延暦二〇)には田村麻呂が再び四万の軍を率いて東北北部に攻め込み、翌年、胆沢城を築くと、さきの北上川の戦いの勝者阿弖流為は兵を率いて投降した。田村麻呂はこれを京都に連行して助命を主張したが、結局、阿弖流為は斬られ、東北人の中に日本国に対する深いうらみをのこすことになった。」