情報62 「跡呂井」の地名とアテルイ

読売新聞岩手県版(1997年10月18日付)のシリーズ「地名を歩く」に、水沢市の跡呂井(あとろい)が取り上げられた。「朝廷破った蝦夷の首長、1200年の時超え再評価」の見出しで、アテルイと直結する地名であること、アテルイとアテルイの再評価の過程なども紹介している。現在、行政上の地名は水沢市の神明町、花園町、杉ノ堂であるが、この地域は明治の初めに周辺の村と合併するまでは「跡呂井」村と呼ばれた。今も町内会と地区名は跡呂井を使っている。江戸時代の「安永風土記」(1773)には「安土呂井村」と記されているが、それ以前の記録はわからない。水沢市埋蔵文化調査センターの伊藤博幸氏は、「今だから、アテルイと関係があるといえるが、(朝廷に刃向かった)『賊軍』だったため、地名の由来を伝える伝承がどこかで途切れてしまったのではないか」と、跡呂井の地名の手掛かりが少ない理由を推測して語っている。跡呂井町内会長を務めた佐々木盛氏(当会副会長)は、子供のころ「アテルイごっこ」と称してチャンバラごっこをしたこと、父親らから「アテルイがこの地方にいて周辺は蝦夷集落だった」と教えられたことなどを語っている。