情報42 及川 洵「胆沢の蝦夷(えみし)論~アテルイ以前について考える~」

『岩手考古学』第8号(1996年3月発行)所収。「八世紀の胆沢の蝦夷」をアイヌ人と考え、アテルイをアイヌ語で解釈する研究者もいる現状から、「古代胆沢の蝦夷はアイヌ人なのか」ということについて論述する。まず、岩手県南地域の先住民は約八万年前にさかのぼることができるが、北海道の旧石器時代は二万一千年前以降であることから、「岩手の蝦夷の先住民を北方系のアイヌ人とするのは認めがたい」とする。次に、岩手県にナイなどのアイヌ祖語からと思われる地名がもたらされるのは一万三千年前の細石刃文化の南下の頃からであるが、以後、二言語(日本祖語とアイヌ祖語)併用時代が続き、岩手県南地域は縄文前期頃、県北以北においても縄文後期か晩期頃から次第に分離が進んでいったことが言語学者の研究と文化圏との関わりを検討するなかで推論できるとし、胆沢地方ではその後の弥生文化の波及、石包丁や水田の発見、五世紀末と推定される角塚古墳の築造などにみられるように、東北南半地域文化圏への組み入れが強いとする。そして、北海道系土器については多量に出土する土師器にくらべごく小量で、交易によるものと考えられ、地名や文化に影響を与えるほどのものではないこと、またアイヌ語で解釈している地名の中には日本祖語で解釈できるものもあり、歴史的背景などの十分な研究抜きの安易な地名解釈には疑問があるとする。以上などから、古代胆沢の蝦夷をアイヌの子孫と考える根拠はない、と結論している。