情報20 「アイヌ民族のアテルイ慰霊祭に疑問」

当会の会員でもある及川洵氏が『胆江日日新聞』に寄稿し、平成6年12月29日付の同紙に掲載された。及川氏は、「アテルイをアイヌ人の祖先であるとすれば、蝦夷=アイヌ人...になるが、...アテルイを研究し、遺跡を調査研究している者として疑問を感じざるをえない」とし、【1】アイヌ語地名の「ナイ」、「ベツ」の分布は、「盛岡以北に多く、胆沢地域はまばらである」こと、【2】北海道の後北式土器についても「水沢市内では石田遺跡から二片発見されているのみで、同時期の土師器の多量な出土にくらべ問題にならない」こと、【3】「縄文前期~中期(六千~四千年前)岩手県北から北海道渡島半島にかけて同筒下層、上層式土器群が展開したが、胆沢地域は大木式土器群が展開し、全く異なる文化圏を形成している」こと、などから、「後期旧石器時代(三万年前)以降、縄文早期の一時期を除き、他の縄文時代、弥生時代、古代に至るまで、北海道文化圏と胆沢文化圏が同一になったことはない」と、断じている。古代蝦夷(エミシ)がアイヌ民族であるか、どうかは、これまで多くの学者が研究し、論争を行なってきたものである。及川氏は、「思いつきやムードではなく、純粋に学問的に考えて頂きたい」と結んでいる。