延暦八年(789年)、アテルイが朝廷軍を打ち破った合戦場跡を後世に伝えようと、江刺市内の有志(荻田耕三氏他3人)が北上川に架かる四丑橋の東側に戦場跡碑を建立した。碑は高さ2.4メートル、奥行27センチ、幅36センチ。表面には「大墓公阿弖流為等 巣伏古戦場」と刻まれ、裏面には『続日本紀』から巣伏の戦いに関する碑文解説がついている。碑は平成5年5月9日に完成したが、戦いのあった日にあわせ6月3日の建立となっている。
「巣伏古戦場碑」が建立される!
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- 資料:アテルイ情報
アテルイの復権と顕彰の活動をすすめる「アテルイを顕彰する会」からの発信
延暦八年(789年)、アテルイが朝廷軍を打ち破った合戦場跡を後世に伝えようと、江刺市内の有志(荻田耕三氏他3人)が北上川に架かる四丑橋の東側に戦場跡碑を建立した。碑は高さ2.4メートル、奥行27センチ、幅36センチ。表面には「大墓公阿弖流為等 巣伏古戦場」と刻まれ、裏面には『続日本紀』から巣伏の戦いに関する碑文解説がついている。碑は平成5年5月9日に完成したが、戦いのあった日にあわせ6月3日の建立となっている。