設立 平成3年(1991年)4月27日
延暦八年(789年)、アテルイ率いるエミシ軍が現在の岩手県胆沢地方に侵攻した数万の朝廷軍と対決し、巣伏の戦いで大敗させた。この胆沢の合戦から1200年にあたる平成元年(1989年)は、アテルイ復権と顕彰活動の画期をなす記念すべき年になった。
水沢市(現奥州市水沢)の跡呂井町内会は「アテルイ王千二百年祭」として記念碑建立と巣伏の戦い大勝利凱旋武者行列を実施、市民グループの延暦八年の会は巣伏の戦い大勝利1200年を記念する「アテルイとエミシ展」を開催。また県水沢地方振興局は胆江地方を「アテルイの里」と名付け、シンポジウム「いま、蘇えるアテルイ」を主催するなど、アテルイを顕彰しようとする機運は一挙に大きな流れになったのである。
一方、関西胆江同郷会は同じ頃にアテルイとモレが処刑された関西に供養碑を建立すべく運動をすすめていたが、坂上田村麻呂創建と伝えられる京都の清水寺が境内への碑建立を快諾、アテルイ顕彰の一大事業としてアテルイの地元での運動も要請されるに至った。
このような状況のなかで、アテルイ碑建立事業の推進と幅広いアテルイ顕彰活動の持続的な展開を担う組織の必要性から、広く有志が結集し、平成3年(1991年)4月27日に<アテルイを顕彰する会>が設立された。