延暦八年巣伏の戦い跡

巣伏村=四丑橋

延暦八年の胆沢の合戦は、北上川の東側を北上する四千の朝廷軍と三百人ばかりの蝦夷兵の小規模な 戦闘に始まり、後退する蝦夷軍を追撃する朝廷軍が巣伏村に至り、迎え撃った蝦夷軍との 大激戦となる。いわゆる巣伏の戦いである。
この「巣伏」(すふし)の地名は、現在に「四丑」(しうし)地名として残っている。

巣伏古戦場碑巣伏古戦場碑

平成5年(1993)6月に、江刺市内(現奥州市江刺区)の市議会議員荻田耕三氏他3人でつくる「青駒ダイナミックス」により北上川に架かる四丑橋の東側(江刺市愛宕金谷)に建立された。
石碑の高さ2.4m、奥行27㎝、幅36㎝。表面に「大墓公阿弖流為等 巣伏古戦場」と刻まれ、裏面には 「続日本紀抄」として巣伏の戦いに関する部分の記述が刻まれている。
建立の日を戦いのあった日にあわせ6月3日としている。

巣伏の戦いの跡碑巣伏の戦いの跡碑

水沢市の昭和10年(1935)生まれの同級生組織・進友会(佐々木勲会長、会員300人)が、 平成7年(1995)に還暦を迎えることを記念し、水沢市佐倉河北田の物見やぐらが立つ公園 (巣伏古戦場跡公園)内に「巣伏の戦いの跡」と刻んだ石碑を建立、周辺環境も整備した。
同公園内には、東に北上川を望む物見やぐらの階段下に「蝦夷の群像」碑も設置されている。

東山=羽田町羽黒山東山=羽田町羽黒山

「アテルイ顕彰の地」の標柱と説明板がある。