2018年10月22日

情報292 第14回阿弖流為・母禮の慰霊祭

9月8日(土)、奥州市水沢羽田町の羽黒山に建立された阿弖流為・母禮の慰霊碑前で第14回となる慰霊祭が行われた。
主催の慰霊する会は春の総会で佐藤健樹氏(前羽田地区振興会長)が新会長に、佐藤晃信氏(前幹事)が新事務局長に選任され、新体制となって最初の慰霊祭となった。

開始時間は遠方よりの参加者の便宜から午後2時(前年までは午前10時開始)となり、午前の雨も止んで、約30名が参加。
佐藤健樹会長が主催者挨拶、小沢昌記奥州市長の祝辞(田茂木教育長代読)、郷右近県議の祝辞(代読)、千田美津子県議の祝辞(秘書代読)の後、神事に移り、代表者による玉串奉奠が行われて閉会した。

午後4時からの直会では、佐藤新会長が挨拶で述べた、来年の第15回の節目となる慰霊祭の実施、会員の高齢化と減少による厳しい組織運営の現状なども話題にして意見交換、懇親を深めた。

当会は来年の慰霊祭について共催の協力を申入れている。

ページの上に戻る

2018年10月22日

情報291 巣伏の戦い大勝利凱旋武者行列

9月15日(土)、奥州市水沢神明町の神明社境内を会場に第10回アテルイ歴史の里まつりが開催され、同会場を発着点とする「延暦八年巣伏の戦い大勝利凱旋武者行列」などが繰り広げられた。
アテルイ歴史の里振興会の実行委員会(森岡誠実行委員長)が主催し、跡呂井町内会、花園町内会、神明社が協賛、常盤地区振興協議会、跡呂井地区振興協議会が後援する地域総ぐるみの祭り。
3年に一度開催され、10回目の節目となる本年の開催は奥州市の平成30年度市民提案型協働支援事業制度を活用して実施された。

午後1時に開会し、実行委員長挨拶の後、凱旋武者行列の安全を祈願、続いてアテルイ王碑を拝礼した。
祝辞では武者行列でアテルイ役も務める小沢昌記奥州市長が、子供神輿に出演する子どもたちを前に、幟旗に書かれた「延暦八年」や「巣伏」などについてわかりやすく説明しながら、アテルイの歴史の里としての祭りの継承を願った。
続いて地元婦人会メンバーによる「アテルイ音頭」を奉納、馬上のアテルイの勝ち鬨をもって武者行列が出発した。

馬にまたがるアテルイ(小沢奥州市長)とモレ(跡呂井町内会熊谷匡章青年会長)を先頭に、凱旋行列旗(2人)、兵士旗(6人)、槍隊(10人)、弓隊(10人)、兵士(10人)が後に続き、地区内の約3.5キロの道程を行進した。

「アテルイ歴史の里まつり」の歩みは昭和62年(1987)10月16日に開催された常盤地区民による「アテルイを偲ぶ会」を起点に、平成元年9月15日にアテルイ1200年記念祭として第1回「アテルイ歴史の里まつり」を開催、

  • アテルイ1200年祭顕彰碑建立、追悼式、
  • 巣伏の戦い大勝利凱旋行列、
  • 神明社神輿、子ども神輿の運行、
  • アテルイ資料館の臨時開設、
  • アテルイの里づくりの半纏作製、

を実施したことに始まる。

平成3年8月には「アテルイ音頭」が完成、同11月にアテルイ歴史の里振興会が結成された。
平成5年9月に自治宝くじ助成金でアテルイ武者行列の衣装・装備を整備し、第2回「アテルイ歴史の里まつり」を開催した。
以降、第3回(平成8年9月15日)、第4回(平成11年9月15日)、第5回(平成14年9月14日)、第6回(平成17年9月11日)、第7回(平成20年9月14日、第8回(平成24年9月9日)、第9回(平成27年9月13日)と開催して今回の第10回を迎えている。

当日は主催者からの案内があり、及川洵顧問(前会長)が来賓として出席、会として阿弖流為酒を奉献した。

ページの上に戻る

2018年4月 5日

第70号(2018年3月29日)6P

ページの上に戻る

2018年4月 5日

情報290 スパコン「アテルイ」の運用終了

平成25年に奥州市水沢区の国立天文台水沢キャンパス内に設置されたスーパーコンピューターは、「アテルイ」の愛称がつけられ、天文学専用としては世界最高速の処理能力を有している。
これまでインターネット回線を利用して世界中の研究者に共同利用され、さまざまな天文現象の解明に貢献してきた。
機器更新のため平成30年3月で運用を終了するが、その前に「アテルイ」を使った重大な研究成果が相次いでいる。

8月中旬に地球から1億3千万光年離れた中性子星の合体による重力波が世界で初観測されたが、合体による重い元素生成に伴う「キロノバ」と呼ばれる大爆発現象の発生過程を国立天文台の田中雅臣助教らが予測。

9月下旬、東京大学などの研究グループが超大な質量を有する「モンスターブラックホール」の誕生過程を解明。

10月上旬、東大などのグループが「星の死」の過程に関する研究成果を公表。

平成30年度からは、また新しい機材を国立天文台水沢キャンパスに導入予定で、その愛称については未定というが、ぜひ「アテルイⅡ世」とでも名付けてほしい。

ページの上に戻る

2018年4月 5日

情報289 阿弖流為・母禮顕彰碑の説明文を多言語化

関西アテルイ・モレの会(和賀亮太郎会長)のホームページの「研究員便り」に、清水寺に建立した阿弖流為・母禮の顕彰碑の裏面に記した説明文の外国語版が掲載されている。
言語は、英語、中国語、フランス語、ドイツ語、スペイン語、ヒンディー語、韓国語、インドネシア語と多言語にわたる。

同会研究員の高橋正吾氏(兵庫県尼崎市在住)の発案によるもので、翻訳には京都大学などに留学する外国人学生などが協力しているが、翻訳協力者はいずれも京阪神在住の二十代の若者たちで、
「何か役立ちたい」「日本の文化・歴史を体感したい」
という外国の若者たちが多いのにはビックリだという。

高橋氏は、
「清水寺に限らず、今や京都・関西の観光地は中国や韓国、台湾をはじめとするアジア各地、欧米からの観光客で連日にぎわいを見せています。
せっかく訪れる外国人へも、我が故郷の蝦夷の歴史、アテルイ、モレの物語の一端を知っていただこうというのが大きな狙いです。
蝦夷・アテルイ・モレの認知度の国際化、世界への拡散です。
いずれ、冊子化(パンフレット)にして、顕彰碑の前で興味・関心をもっていただける方に配布したいと考えています。」
としている。

今後さらに、ベトナム語、タイ語、ロシア語、アラビア語などへの翻訳が予定されているようだ。
意義のある仕事であり、応援したい。

ちなみに、碑裏面の建立説明文(原文)は次のとおり。

八世紀末頃まで東北・北上川流域を日高見国と云い、大和政府の勢力圏外にあり独自の生活と文化を形成していた。
政府は服従しない東北の民を蝦夷と呼び蔑視し、その経略のため数次にわたり巨万の征東軍を動員した。

胆沢(岩手県水沢市地方)の首領・大墓公阿弖流為は近隣の部族と連合し、この侵略を頑強に阻止した。
なかでも七八九年の巣伏の戦いでは勇猛果敢に奮闘し政府軍に多大の損害を与えた。

八〇一年、坂上田村麻呂は四万の将兵を率いて戦地に赴き帰順策により胆沢に進出し胆沢城を築いた。
阿弖流為は十数年に及ぶ激戦に疲弊した郷民を憂慮し、同胞五百余名を従えて田村麻呂の軍門に降った。
田村麻呂将軍は阿弖流為と副将・磐具公母礼を伴い京都に帰還し、蝦夷の両雄の武勇と器量を惜しみ、東北経営に登用すべく政府に助命嘆願した。
しかし公家達の反対により阿弖流為、母礼は八〇二年八月十三日に河内国で処刑された。

平安建都千二百年に当たり、田村麻呂の悲願空しく異郷の地で散った阿弖流為、母礼の顕彰碑を清水寺の格別の厚意により田村麻呂開基の同寺境内に建立す。
両雄をもつて冥さるべし。

一九九四年十一月吉祥日
関西胆江同郷会、アテルイを顕彰する会、関西岩手県人会、京都岩手県人会

ページの上に戻る

2018年4月 5日

情報288 北東北の古代遺跡等を日本遺産に申請

岩手県の盛岡市、奥州市、矢巾町と秋田県の秋田市、大仙市は、古代北東北に朝廷が築いた城柵や蝦夷の古墳群などの「日本遺産」登録を文化庁に申請した。

遺跡、出土品など計29件を一括して「北の国境をゆく~北東北の城柵と蝦夷が織りなす国家の最前線~」と題し、坂上田村麻呂らによる蝦夷統治の舞台裏を紹介する史料と位置付けている。

城柵は志波城跡(盛岡市)、胆沢城跡(奥州市)、秋田城跡(秋田市)、払田柵跡(大仙市)、徳丹城跡(矢巾町)の五件。
アテルイが率いる蝦夷軍が朝廷軍に大勝した「巣伏の戦い」の戦場(奥州市)や、坂上田村麻呂が胆沢城近くの八幡神社に奉納した宝剣も構成資産としている。

日本遺産への登録は、資産の歴史的意義を物語性豊かにPRできるかどうかがポイントで、観光振興に生かそうと文化庁が2015年度に創設した。
2017年4月までに54件が登録され、東北では6件が登録されている。
登録の可否は4月下旬に発表される見通しで、認定されれば5市町村は協議会を設立し、城柵をめぐるツアーなどを企画するという。
【2018年2月3日付「河北新報」記事より】

ページの上に戻る

2018年4月 5日

情報287 CD「東北英雄 阿弖流為」

坂本つとむwithケンイチ大倉が唄う「阿弖流為(アテルイ)」が2017年11月に (株)アスタエンタテインメントから発売された。
1300円(税込み)。ケンイチ大倉作詞の歌詞は、次のとおり。

蝦夷(えみし)の血を持つ一人の男あきらめない心持つ不屈の魂
アテルイ 傷だらけでもアテルイ 未来を救うのさ
宝物は仲間 だから離しはしないそれが現在(いま)を変える東北英雄(ヒーロー)
アテルイ 迫る敵を待つ一人の男誇り高き心持つ友情の魂
アテルイ 命をすててもアテルイ 愛を救うのさ
宝物はこの地だから離しはしないそれが現在を変える東北英雄
アテルイ

阿弖流為を応援する青森県八戸市の女性アイドルグループ「シンデレラマジックEAST」の歌2曲も収録されている。

ページの上に戻る

2018年4月 5日

情報286 宝塚歌劇星組公演「 阿弖流為-ATERUI― 」

高橋克彦著『火怨(かえん) 北の燿星(ようせい)アテルイ』を原作とした宝塚歌劇によるミュージカル『阿弖流為』が、2017年7月15日から23日まで大阪の梅田芸術劇場シアター・ドラマシティにおいて、7月31日から8月6日まで東京の日本青年館ホールで上演された。

阿弖流為は「己の心を捨てずに生きていける世を求め、蝦夷の誇りを守ろうと戦った一人の男」として描かれている。物語は八世紀、東北へ支配領域を拡大する大和朝廷が蝦夷征伐に乗り出す中、故郷を守る為に立ち上がった蝦夷の若き指導者・阿弖流為が、仲間と力を合わせて朝廷軍を打ち破っていく。
しかし勝利は更なる戦いを招き、やがて朝廷軍の切り札である坂上田村麻呂に征夷の命が下される(チラシより)。
蝦夷の誇りを守るため戦う阿弖流為。
その生き様を(れい)真琴(まこと)が演じ、宝塚星組30名が迫力に満ちた立ち回りを織り交ぜ、スペクタルな舞台とした。

脚本・演出は大野拓史で、プログラムには出演者全員の名前と写真が掲載され、主な登場人物についてはしっかりとした解説が書き込まれている。

アテルイは、「胆沢(いさわ)の蝦夷の長の跡継(後に長となる)。
蝦夷の諸勢力を結集し、長らく朝廷に立ち向かったが、坂上田村麻呂の遠征軍に降伏し、河内国で処刑された。
正史に残るのは、「巣伏の戦い」の大勝と田村麻呂への投降のみだが、各地にその雄姿を伝える伝承が残されている、実在の人物。
余談だが、奥州市の黒石寺で、阿弖流為の姿を写したと伝わる薬師如来像を拝観させていただいた際、
「朧(おぼろ)な光加減ゆえか寒さのゆえか、当公演で阿弖流為を演じる礼真琴その人に見えて仕方なかった事が、今なお忘れられない。」
とある。

座席料金はいずれの会場もS席7,800円、A席5,000円。
前売り開始で即完売したようで、直接舞台を観ることはかなわなかった。
10月に発売されたDVDを観て、あらためて実際に観劇したかったとの思いが湧き上がった。

ページの上に戻る