2012年12月 2日

甦るアテルイ、復権の歩み

~資料・アテルイ復権関係年表~

蝦夷の首長アテルイに関わる一部の事は、正史とされる『続日本紀』と『日本後紀』の複数箇所に記録され、アテルイが今から千二百年をも前に実在した歴史的人物であることが知られる。『続日本紀』の延暦八年(789)の記事には、その年における朝廷軍の胆沢(岩手県奥州市付近)侵攻にアテルイを指導者とする蝦夷の戦士たちが立ちはだかったことが、『日本紀略』と『類聚国史』の延暦二十一年(802)の記事にはアテルイらの降伏と斬刑にいたる『日本後紀』の記事を原文とするとみられる内容が伝わっている。

これらの記事内容は確かに僅かにすぎないが、一人の蝦夷にかかわる記録(史料)として見た場合は、他に例を見ることができないものである。朝廷の大軍による三度の胆沢侵攻に対決し、一度は敗退させるなど、十数年間にわたって古代国家に抵抗し続けたことが、特にも際立っていたことからするものであろう。

しかし、そのような歴史的事実は、「正史」に記録されたにかかわらず、時の経過とともにいつしか彼方に押しやられた。アテルイは長期にわたる戦いの末、征夷大将軍として名を馳せた坂上田村麻呂のもとに降伏し、斬刑に処せられたのであったが、後の時代の圧倒する坂上田村麻呂伝説のなかで、アテルイはその名前すら消し去られてしまったのであった。

鎌倉時代後期の作とされる『吾妻鏡』は、文治五年(1189)に源頼朝が「田谷窟(達谷窟)」(岩手県平泉町)に立寄った際に、「これ田村麻呂利仁将軍綸命を奉じて征夷の時、賊主悪路王ならびに赤頭等塞を構える岩屋なり」との説明を受けたことを記している。「悪路王」という名前の初見であるが、その名は特に北東北の田村麻呂伝説のなかに多く出てくることが知られている。本来なら、伝説であれ、田村麻呂と対置されるべきはアテルイであるはずだが、なぜかその名は悪路王なのである。しかも、その悪路王は達谷窟付近の伝説では、良民を苦しめ女子供を掠める賊の主なのであった。

また、『元享釈書』(1322年)の清水寺延鎮伝には、坂上田村麻呂が駿州の清見関(静岡県清水市付近)まで攻め上がってきた「奥州の逆賊高丸」を追撃して神楽岡で射殺したことが記されている。この「高丸」という名前もよくでてくる。田村麻呂が征伐した賊は悪路王であり、高丸であり、他では大武丸(大岳丸、大嶽丸)であったりもするが、このような伝説が史実であるがごとくに広く語り継がれる時代が続くのである。アテルイの名はほとんど忘れ去られていたと言ってよかった。

この間に「大墓公阿弖利為」の名前を記した書物として目に付くものといえば、徳川光圀が編纂した『大日本史』(1709年完成)と佐藤信要『封内名蹟志』(1741年)、相原友直『平泉雑記』(1773年)くらいではなかろうか。『前々太平記』(1715年)は「大墓公」とだけ記述している。

大きな転換点となったのは、やはり明治維新以後であり、近代に入ってからであった。
「正史」に残る記事をとりあげるだけでなく、アテルイに関係する地を具体的に比定する試みなどが始まるのである。大槻文彦『復軒雑纂』(1902年)は、「阿弖流為の居」について、「膽澤郡水澤町の東に接して、安土呂井村あり、是れ、阿弖流為の居なりしなるべし、西岸にあれど、「比至」とあれば、妨げあらじ」(「古奥舊地考摘録」)とした。吉田東伍『大日本地名辞書』(1900-1907年)は、阿弖流為は「水澤驛東の跡呂井の酋長」と推断しつつ、盟友の盤具公母礼についてふれたほか、二人が斬殺されたところは河内国交野郡の宇山(現枚方市)で、その墓は同郡藤坂の鬼墓(王仁墓)ではないかと推定した。この両書をアテルイ研究の第一歩として位置付けることができよう。

また、明治から昭和にかけて出版された歴史書の「蝦夷征伐」や坂上田村麻呂の記述のなかで、「大墓公阿弖利為」の名前をあげたものもいくつか見えるようになるが、いずれも「賊」の扱い以外ではなかった。アテルイが正しく評価され始めるのは、伝統的権威から相対的に解き放たれる戦後を待つことになる。

以下は、戦後におけるアテルイの復権の歩みを年表形式にして示したものである。アテルイ没後1200年記念企画展「甦れ、アテルイ」に展示した<アテルイ復権年表>に、現在までの事項を新たに加えるなどした。詳細にすぎるが、アテルイの復権経過をたどる基礎資料として一覧していただければ幸いである。

アテルイ復権関係年表
資料:アテルイ情報

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2012年12月 2日

アテルイ復権関係年表

1949年7月胆沢郡社会科研究室編『胆沢地域の開拓と発展の歴史』延暦八年胆沢の戦いを記述
1952年9月及川儀右衛門「上代の膽澤(膽江)平野」(『奥羽史談』3巻2号)
1955年9月高橋崇「延暦・弘仁期に於ける所謂「蝦夷征伐」に就いて」(『文化』19巻5号)
氏家和典「蝦夷の抵抗とその背景」(『文化』19巻5号)
1959年6月高橋崇『坂上田村麻呂』 アテルイの戦いを詳述、悪路王の伝説にもふれる
1961年1月『岩手県史』第1巻 「征夷の推進」
1963年9月~岩淵憲次郎「胆沢之蝦夷物語」(『胆江日日新聞』53回連載)
10月高橋富雄『蝦 夷』 「阿弖流為と田村麻呂」
1968年7月小岩末治『大墓公と悪路王』
1970年10月高橋崇「坂上田村麻呂と阿弖流為」(『古代の日本』第8巻東北)
1971年2月~高橋富雄『胆沢城』(『岩手日報』連載)
1972年1月今東光『蒼き蝦夷の血』第1巻 アテルイにふれる
3月井上薫「宇山に蝦夷を斬る」(『枚方市史』第2巻) アテルイの斬殺地に言及
11月関口明「蝦夷の反乱とその歴史的意義」(『歴史学研究』390号)アテルイの反乱
1974年1月同人詩誌『化外』創刊(化外の会)
7月高橋富雄『古代蝦夷』 「大墓公阿弖流為」
11月『水沢市史』第1巻 「征夷に対する抵抗」
1975年□月集英社発行『学習漫画日本の歴史』(和歌森太郎考証解説)3巻にアテルイ登場
1976年4月~河北新報紙が「蝦夷 古代東北の英雄たち」を連載 「第二部 阿弖流為」
5月戸石泰一『火と雪の森』 アテルイにふれる
7月相沢史郎『<ウラ>の文化』 「東国に葬られたアテルイの首」
□月水沢市内の菓子店が銘菓「アテルイの里」を発売
10月豊田有恒『陸奥の対決 小説・蝦夷征服史』 アテルイが登場する歴史小説 
1977年1月豊田有恒「蝦夷征服」(『戦乱日本の歴史2 辺境の争乱』)
8月相沢史郎『詩集 悪路王』
月~大正十三造『翔けろ蒼鷹』(『岩手日報』379回連載) アテルイ決起までの小説
1978年1月平川南「東北大戦争時代~東北の動乱~」(『古代の地方史』第6巻奥羽編)
6月新野直吉『古代東北史の人々』 「坂上田村麻呂と大墓阿弖流為」
1979年3月河北新報紙が「蝦夷の統領ここに眠る?」の特大記事掲載
1980年3月『岩手の歴史ものがたり』に「えみしの王アテルイ」
1981年1月澤田ふじ子『陸奥甲冑記』 アテルイの戦いを叙述。第3回吉川英治新人賞受賞
12月小学館発行『学習まんが少年少女日本の歴史』第4巻 アテルイ登場
1982年2月水沢市教育委員会、河北新報社主催 < 胆沢城展 > を水沢市内で開催
「悪路王首像」(茨城県鹿島神宮所蔵)とアテルイ斬刑地の写真パネルを展示
4月集英社発行『学習漫画日本の歴史』第4巻(笠原一男監修) アテルイ登場
5月学習研究社発行『学研まんが日本の歴史』第4巻 アテルイ登場
9月河北新報社が鹿島神宮所蔵「悪路王首像」の複製を製作 水沢市ほかに寄贈
11月同人誌『えみし』創刊(江刺市えみしの会)
1983年3月『江刺市史』第1巻  延暦胆沢会戦記とアテルイ、モタイ等について詳述
4月高橋富雄「大墓公阿弖流為と盤具公母禮」(『古代学叢論』)
3月~泉千年『日高見物語』全5巻(1~3巻呰麻呂篇 4・5巻 阿弖流為篇 )
5月古代日本を感ずる会が北上市内でアテルイの霊を慰める祈祭等を開催
1984年9月河北新報社が水沢市内に中一弥画「胆沢の合戦」大パネル画を寄贈設置
1985年10月NHKテレビ東北アワーで「蝦夷大首長アテルイの謎」を放送
1986年6月高橋崇『蝦 夷』 「蝦夷の英雄時代」「異説・征夷英雄伝」
1987年7月~水沢市成人大学講座「阿弖流為(アテルイ)セミナー」開催
10月北方の王者アテルイの会開催
1988年3月水沢地方振興局が観光ガイド『再発見 アテルイの里』を刊行
4月神英雄「蝦夷梟帥阿弖利為・母礼斬殺地に関する一考察」(『歴史と伝承』)
6月東北電力主催「アテルイ講演会」開催
8月佐藤孝一『陸奥太平記~前編アテルイ物語~』
12月安久沢連『朔風すさぶ彼方』 大和への服属を拒んだ蝦夷、アテルイを叙述
1989年7月水沢地方振興局のアテルイの里構想研究事業開始
9月水沢市の跡呂井町内会がアテルイ王千二百年祭を開催
「アテルイ王千二百年祭記念碑」を建立し、アテルイ王武者行列を実施
10月延暦八年の会がテレホンカード「アテルイは生きている」(悪路王首像)を製作
11月延暦八年の会編『アテルイとエミシ』
延暦八年の会が『アテルイとエミシ展~巣伏の戦い戦勝千二百年記念~』開催
水沢地方振興局がシンポジウム「いま、蘇るアテルイ」を水沢市内で開催
12月テレビ岩手の番組で水沢市から「アテルイとエミシ」を放送
1990年6月菊池敬一『北天の鬼神~阿弖流為・田村麻呂伝~』
9月水沢地方太鼓振興協議会に「アテルイ太鼓」の譜面
10月水沢地方振興局がアテルイの里文化講演会を開催 高橋克彦氏「古代東北の謎」
11月テレビ岩手の番組で「アテルイは生きている」を放送
12月沢藤範次郎作、和紙張り子「阿弖流為人形」 東北ふるさと物産展東北通産局長賞
1991年2月高橋崇『律令国家東北史の研究』
3月水沢酒造が「自然酒アテルイ」を初搾り
4月<アテルイを顕彰する会>設立  記念講演「アテルイ雑感」(小林晋一)
5月アテルイを顕彰する会の会報「アテルイ通信」第1号発行
7月関西水沢胆江同郷会がカセットテープ「ああアテルイ」を一般販売
アテルイの里・胆江工業クラブ設立
9月第1回アテルイ杯争奪胆江中学サッカー選手権開催(産経新聞社主催)
アテルイを顕彰する会がフォーラム『虚像から実像へ、アテルイ』を開催
10月瀧浪貞子『集英社版日本の歴史5 平安建都』にアテルイの記述
11月林太郎『阿弖流為の反乱』 アテルイの戦いを描いた歴史小説
1992年1月井口朝生『北の砦~将軍田村麻呂』 アテルイの戦いを描いた歴史小説
2月地球にやさしいアテルイの里推進協議会が設立
文部省検定 教育出版『新版中学社会 歴史』(笹山晴生、奥田義雄監修)
「伊治公呰麻呂の乱と豪族阿弖流為の抵抗」を記述
4月水沢市42歳厄年連「成翔会」がアテルイにちなんだ「北天踊り」を創作
□月及川洵「アテルイをめぐる二、三の問題」(『岩手考古学』第4号)
5月水沢市の小学校社会科副読本『わたしたちの水沢市』全面改版 アテルイの名
6月定村忠士『悪路王伝説』
7月アテルイを顕彰する会が第1回アテルイ・シンポジウムを金ヶ崎町で開催
10月水沢市のアテルイ広場に「北方の王者アテルイ像」建立
11月水沢青年会議所企画製作の静止画ビデオ「アニメ アテルイ」上映会
1993年4月ニュースステーション(テレビ朝日)の特集「よみがえる先住民・蝦夷」でアテルイ顕彰活動を紹介
6月江刺市に < 大墓公阿弖流為等 巣伏古戦場 > の碑建立
7月NHK大河ドラマ『炎立つ』第1回に里見浩太郎扮するアテルイが登場
9月水沢市の跡呂井町内会がアテルイ巣伏の戦い大勝利凱旋行列(第2回)
11月水沢市埋蔵文化財調査センター開設 映像コーナー「古代東北蝦夷の世界」
1994年2月アテルイの里のイメージソング「アテルイの火群」(作曲「姫神」星吉昭)
5月水沢市のアテルイ広場に <阿弖流為の郷> の石碑建立
8月新野直吉『田村麻呂と阿弖流為』
9月愚安亭遊佐ひとり芝居「アテルイ」岩手県公演
11月京都清水寺に < 北天の雄 阿弖流為 母禮之碑 > を建立
関西胆江同郷会、アテルイを顕彰する会、関西岩手県人会、京都岩手県人会
1995年2月延暦八年の会がアテルイ・ライブラリー記念講演会を開催
3月延暦八年の会編『 < アテルイとエミシ > 関係文献目録』
4月北海道平取町のアイヌ民族一行が水沢市で「アテルイを偲ぶ観桜会」を開催
6月伊藤仁『蝦夷の播風』 アテルイの戦いを描いた歴史小説
梅草一郎「マンガに描かれたアテルイの顔」(『アテルイ通信』第14号)
8月アテルイ・モレ等エミシを慰霊する会が「アテルイ・モレ等エミシの慰霊祭」を江刺市内で開催(以降、毎年実施)
縄文アテルイ・モレの会が枚方市片埜神社で「日高見大戦ほか戦没者慰霊祭」を開催(以降、毎年実施)
水沢市の進友会が < 巣伏の戦いの跡 > 碑建立
9月アテルイ歴史の里振興会がアテルイ巣伏の戦い大勝利凱旋行列(第3回)
10月『図説岩手県の歴史』に「アテルイの世界」(伊藤博幸)
11月今泉隆雄「三人の蝦夷~阿弖流為と呰麻呂・真麻呂~」
関西胆江同郷会等が、清水寺でアテルイ、モレの法要(以降、毎年実施)
11月~水沢市埋蔵文化財調査センターが古代史講座「アテルイの時代を考える」を開講
1996年2月NHKテレビのライバル日本史で「東北大戦争~桓武天皇とアテルイ~」を放送
文部省検定 三社の中学校の歴史教科書がアテルイを記述
3月アテルイを顕彰する会が第4回アテルイ・シンポジウムを開催
吉川団十郎のCD「みちのく古代史~北の大地の鬼の歌」発売 「北天無情」
4月江刺市愛宕梁川、後中野遺跡からアテルイ時代の畑跡と墓跡が出土
9月水沢市跡呂井町内会が「アテルイ歴史の里祭り」を開催 アテルイ凱旋行列
10月円乗淳一『エミス アテルイ』 アテルイの戦いを描いた歴史小説
水沢市杉の堂遺跡からアテルイ時代の焼失した竪穴住居跡が出土
11月「タイムスリップ・河北新報」第1回で阿弖流為朝廷軍撃破!を特集
及川強『劇画日高見のアテルイ』
1997年1月~河北新報紙が高橋克彦の歴史小説『火怨~北の耀星アテルイ~』を連載
1999年10月に単行本、第34回吉川英治文学賞受賞
3月新野直吉「阿弖流為、その風土性豊かな復活」(『岩手の歴史と風土』)
延暦八年の会編著 歴史副読本『古代アテルイの里』千五百冊を管内各校に配布
9月照井顕、アテルヰじゃんず楽団のCD『潮騒の森』発売「阿弖流為・古代からの風」
1998年2月延暦八年の会がアテルイ研究活動で岩手日日新聞文化賞を受賞
岩手県立大学の入試問題に「阿弖流為」の名前
4月梅草一郎「『東日流外三郡誌』世界のアテルイ」(『アテルイ通信』第22号)
7月米沢牛ひとり芝居「アテルイの首」宮城県公演
11月盛岡市でシンポジウム「古代東北日本の再発見」開催(解放出版社他主催)
12月たつみや章『月神の統べる森で』 アテルイが登場する長編ファンタジー(全5巻)
1999年2月胆江地方に「アテルイの里地域づくりネットワーク」設立
3月大阪府枚方市が「蝦夷の首長阿弖流為らのゆかりについて」の案内板設置
8月新版『岩手県の歴史』に「アテルイの世界」の項(伊藤博幸)
11月アテルイの里シンボルマーク(悪路王首像)に関する千人アンケート実施
第8回水沢市民祭に市民ミュージカル「北天の風・戯作アテルイ伝」
1992年10月北海道北見で発見した小惑星に「Aterui」と命名
12月延暦八年の会がシンポジウム「アテルイと悪路王伝説」を水沢市で開催
2000年3月アテルイのイメージ肖像制作発表(水沢地方振興局、延暦八年の会)
岩手県公立高校入試問題に「阿弖流為」
5月NHK教育テレビの歴史でみる日本で「蝦夷の首長・アテルイ」を放送
7月熊谷達也『まほろばの疾風』 アテルイの戦いを描いた歴史小説
8月~月刊コミック誌に原哲夫画『アテルイⅡ世』連載
10月アテルイ没後1200年記念事業準備委員会発足
11月~延暦八年の会がアテルイ出前講座(28ヶ所)実施
2001年3月教科書検定 8社の中学校の歴史教科書がアテルイを記述
4月アテルイ没後1200年記念事業実行委員会(会長:後藤晨水沢市長)設立
6月アニメーション映画『アテルイ』製作支援水沢地区推進委員会設立
アニメーション映画『アテルイ』製作上映運動推進県民の会発足
7月アテルイ没後1200年記念事業プレ開幕記念大会を江刺市で開催
8月~劇団わらび座のミュージカル「北の耀星アテルイ」上演開始(秋田県田沢湖町)
9月アテルイ関連遺跡・水沢市羽黒山市民発掘実施
(主催:延暦八年の会、アテルイを顕彰する会、羽田地区振興会)
11月伊藤満『北の将星アテルイ』
12月梅草一郎「アテルイ最期の地について」(『アテルイ通信』第36号)
『週間 ビジュアル日本の歴史 奈良から平安へ5』にアテルイの記述
2002年2月日本経済新聞の文化欄に「古代東北、英雄の顔」(延暦八年の会代表佐藤秀昭)
3月『週間 再現日本史 原始・奈良10』にアテルイの記述
5月前沢町に<母禮をたたえる会>発足
6月~花巻市で連続公開講座「アテルイ~悪路王からアテルイ~」開催(5回)
6月旅情報誌『トランヴェール』の特集に「みちのく歴史紀行・その名は阿弖流為」
中津文彦「東北の英雄・アテルイが「逆賊」にされた本当の理由」(『歴史街道』)
梅草一郎「アテルイの降伏から斬殺まで」(『アテルイ通信』第38号)
インターネットに「アテルイふぁんサイト 日高見国見聞記」が開設される
7月池田文春作 長編漫画「阿弖流為」(ビジネスジャンプ増刊『ビージャンこん』№7)
水沢菓子組合が共通銘菓「アテルイ夢伝説」を企画発売
8月~長編アニメーション映画『アテルイ』完成(シネマ東北)全国上映開始
8月新橋演舞場で市川染五郎主演の中島かずき作『アテルイ』上演 岸田戯曲賞受賞
水沢市羽田町のうぐいす沢神楽保存会が創作神楽「アテルイ」を初披露
胆江日日新聞社がアテルイ没後1200年記念『坂上田村麻呂展』を開催
第8回アテルイ・モレ等エミシの慰霊祭を江刺市で開催
アテルイ・モレ没後1200年祭が枚方市で開催される(縄文アテルイ・モレの会)
胆沢城造営・アテルイ没後1200年記念歌「天空アテルイ」(あんべ光俊作曲・歌)
9月母禮の慰霊祭が前沢町で開催される(母禮をたたえる会)
9月~劇団わらび座のミュージカル「北の耀星アテルイ」全国公演開始(水沢市より)
9月水沢市の跡呂井町内会がアテルイ巣伏の戦い大勝利凱旋行列(第4回)
延暦八年の会がシンポジウム「アテルイとエミシの時代」を水沢市で開催
アテルイを顕彰する会が企画展「甦れ、アテルイ」を水沢市と江刺市で開催
アテルイの里・姫神コンサート~天空を駆けるアテルイの想い~
水沢市でアテルイ没後1200年記念大会開催、アテルイ顕彰活動者表彰
10月奈良市で歴史街道シンポジウム「古代の東北と畿内~黄金ロードから、東北の強者アテルイの輝きまで~」開催、奈良新聞に特集記事
水沢観光物産センター<Zプラザ・アテルイ>オープン
水沢市内にショッピングセンター<カルチャーパーク・アテルイ>開店
京都でアテルイ没後1200年記念講演会開催 三好京三「蝦夷と北天の雄」
11月前沢町で「母禮シンポジウム」開催
清水寺<阿弖流為・母禮の碑>供養(関西アテルイ・モレの会)
第11回水沢市民祭で創作劇「アテルイ外伝」上演
12月大阪府枚方市に坂上田村麻呂と阿弖流為を学習する<歴史懇話会>発足
及川洵『アテルイ研究入門』
2003年1月河北新報文化賞に<胆江地域アテルイ顕彰グループ>が受賞
2月『毎日小学生新聞』の「この歴史ホント?ウソ?」にアテルイ
樋口知志「延暦八年胆沢の合戦の再検討」(『アテルイ通信』第40号)
3月第三回前沢町民劇場「北天の雄 母禮物語」上演
4月京都清水寺本堂で劇団わらび座がミュージカル「北の耀星アテルイ」を上演
水沢観光物産館Zプラザ・アテルイにアテルイ・インフォメーションセンターを開設、特別企画展「蘇れアテルイ~第1回わが名はアテルイ~」
6月~アニメ・ファンタジア水沢の開催(毎月2回、アニメ「アテルイ」ほかを上映)
8月アテルイを顕彰する会がアテルイの命日9月17日を「アテルイの日」として制定する取り組みを総会で決定
「北海道新聞日曜版」(10日)が「大和朝廷と戦ったアテルイの地」を特集
第9回アテルイ・モレ等エミシの慰霊祭(同慰霊祭実行委員会主催)が江刺市の歴史公園えさし藤原の郷で開催される(15日)
第9回日高見大戦戦没者慰霊祭(縄文アテルイ・モレの会主催)が枚方市片埜神社で開催される(22日)
9月アテルイ史跡写真コンテスト・写真展及び「アテルイの日」制定賛同色紙展(水沢地方振興局主催、延暦八年の会主管)を水沢市内で開催(11~18日)
「アテルイの日」制定記念講演会、井沢元彦「アテルイについての逆説」開催
「アテルイの日」制定記念車座トーク、高橋富雄、一力一夫他「大いにアテルイを語る」開催(13日)。アテルイを顕彰する会と延暦八年の会の主催
水沢市の進友会が「アテルイの日」制定を契機に乙女川河川公園巣伏古戦場跡碑で第1回アテルイ鎮魂祭を開催(19日)
11月京都清水寺の阿弖流為・母禮の碑前で関西アテルイ・モレの会主催による法要が行われる(8日)
2004年5月水沢市ZホールでDVD「アテルイ」の完成試写会(27日)
6月アテルイを顕彰する会が『阿弖流為復権(2001年~2003年)』を発行
8月青森ねぶた祭りに「北の炎・阿弖流為」出陣(1日)
第10回アテルイ・モレ等エミシの慰霊祭(同慰霊祭実行委員会主催)が江刺市の歴史公園えさし藤原の郷で開催される(15日)
第10回日高見大戦戦没者慰霊祭(縄文アテルイ・モレの会主催)が枚方市片埜神社で開催される(20日)
9月アテルイを顕彰する会・延暦八年の会主催「アテルイの日」記念フォーラム、高橋克彦他「北の力で」開催(28日)
11月京都清水寺の「阿弖流為・母禮の碑」建立十周年の法要が関西アテルイ・モレの会主催により行われる(6日)
2005年8月第11回アテルイ・モレ等エミシの慰霊祭(同慰霊祭実行委員会主催)が江刺市の歴史公園えさし藤原の郷で開催される(15日)
岩手県矢巾町の矢巾北中学校の生徒が横浜市で開かれた全国中学校総合文化祭で群読劇「アテルイ」を上演(21日)
9月水沢市の跡呂井地区で第6回アテルイ歴史の里まつりが開催される(11日)
水沢市羽田町羽黒山頂に「阿弖流為・母禮慰霊碑」を建立、除幕式(17日)
11月京都清水寺で古代蝦夷の英雄アテルイ・モレの慰霊法要が開催される(5日)
2006年4月馬部隆弘「蝦夷の首長アテルイと枚方市」(『史敏』通巻3号)
6月阿弖流為・母禮を慰霊する会(及川松右衛門会長)発足(21日)
9月奥州市水沢羽田町羽黒山頂で阿弖流為・母禮等の慰霊祭が開催される(17日)
母禮をたたえる会が母禮の慰霊祭を奥州市前沢区で開催(19日)
10月東京サンシャイン劇場でミュージカル「AKURO悪路」上演(19日~29日)
2007年3月枚方市牧野公園で「伝阿弖流為・母禮之塚」建立除幕式(4日)
9月奥州市水沢羽田町羽黒山頂で阿弖流為・母禮等の慰霊祭が開催される(15日)
10月アテルイを顕彰する会と阿弖流為・母禮を慰霊する会が羽黒山第二次発掘調査を実施(5日~9日)
11月京都清水寺で阿弖流為・母禮の慰霊法要が関西アテルイ・モレの会主催により行われる(10日)
2008年5月安久澤連『北風の譜~陸奥蝦夷争乱悲話~』発刊
9月奥州市水沢羽田町羽黒山頂で阿弖流為・母禮の慰霊祭が開催される(13日)
奥州市の跡呂井地区で第7回アテルイ歴史の里まつりが開催される
母禮をたたえる会が母禮の慰霊祭を奥州市前沢区で開催(16日)
11月京都清水寺で阿弖流為・母禮の慰霊法要が関西アテルイ・モレの会主催により行われる(8日)
2009年2月及川洵著小説『阿弖流為』(文芸社)発刊
5月メタルバンド、クリスタルオワナイトがCDアルバム「アテルイ」を発売
9月奥州市水沢羽田町羽黒山頂で阿弖流為・母禮の慰霊祭が開催される(12日)
母禮をたたえる会が母禮の慰霊祭を奥州市前沢区で開催(15日)
奥州市水沢の進友会が巣伏古戦場跡碑前でアテルイ鎮魂祭を開催(17日)
11月京都清水寺で阿弖流為・母禮の慰霊法要が関西アテルイ・モレの会主催により行われる(14日)
2010年9月奥州市水沢羽田町羽黒山頂で阿弖流為・母禮の慰霊祭が開催される(11日)
母禮をたたえる会が母禮の慰霊祭を奥州市前沢区で開催
奥州市水沢の進友会が巣伏古戦場跡碑前でアテルイ鎮魂祭を開催(17日)
11月京都清水寺で阿弖流為・母禮の慰霊法要が関西アテルイ・モレの会主催により行われる(13日)
2011年4月劇団わらび座がミュージカル「アテルイ 北の耀星」を再演(10日)
5月及川洵著『阿弖流為と田村麻呂伝説』(胆江日日新聞社)発刊
千尼田著『蝦夷水沫 阿弖流為の叫び』上下巻(文芸社)発刊
9月奥州市水沢羽田町羽黒山頂で阿弖流為・母禮の慰霊祭が開催される(10日)
「アテルイの日」記念講演会(アテルイを顕彰する会主催)熊谷公男東北学院大学教授
「坂上田村麻呂と阿弖流為」を奥州市水沢で開催(17日)
奥州市水沢の進友会が巣伏古戦場跡碑前でアテルイ鎮魂祭を開催(17日)
11月京都清水寺で阿弖流為・母禮の慰霊法要が関西アテルイ・モレの会主催により行われる(12日)
岡本雅享(福岡県立大学准教授)論文「アテルイ復権の軌跡とエミシ意識の覚醒」(『アジア太平洋レビュー』第8号)発表
2012年8月青森ねぶた祭の最高賞ねぶた大賞に「阿弖流為と清衡」、知事賞に「東北の雄 阿弖流為」
9月奥州市水沢羽田町羽黒山頂で阿弖流為・母禮の慰霊祭が開催される(8日)
奥州市の跡呂井地区で第8回アテルイ歴史の里まつりが開催される(9日)
奥州市水沢の進友会が巣伏古戦場跡碑前でアテルイ鎮魂祭を開催(17日)
母禮をたたえる会が母禮の慰霊祭を奥州市前沢区で開催(18日)
11月京都清水寺で阿弖流為・母禮の19回目の慰霊法要が関西アテルイ・モレの会主催により行われる(10日)
12月枚方市の小中高生が現代版組踊り「火怨の蝦夷 阿弖流為」を舞台公演(23日)
2013年1月NHK盛岡放送局「おばんですいわて」でアテルイ特集「アテルイ伝を100倍楽しむ!」(7日、8日、9日)
BSプレミアムで『アテルイ伝』第1回放送(11日)。毎週金曜日全4回。
NHK総合などで「アテルイと蝦夷」放映
斉東野人著『阿弖流為別伝 残照はるかに』(海象社)発刊
BSプレミアムでBS歴史館「不屈の英雄アテルイ~古代東北の底力」放映(31日)
2月『歴史街道』2月号に、[特集]東北の英雄アテルイ 他
奥州市埋蔵文化財調査センターで長編アニメ「アテルイ」上映会(24日)
オリジナルサウンドトラック『火怨・北の英雄アテルイ伝』(川井憲次)発売
3月読売新聞(大阪)『碑にきく』に「伝阿弖流為・母禮之塚」〔枚方市〕
NHK総合で大型時代劇「火怨・北の英雄アテルイ伝」前編放送(23日)
NHK総合で大型時代劇「火怨・北の英雄アテルイ伝」後編放送(30日)
4月国立天文台水沢V LB I観測所に導入され、始動した世界最速天文学専用スーパーコンビューターの愛称は「アテルイ」〔奥州市水沢〕
5月「三春春まつり」〔福島県田村郡〕の時代行列にアテルイとモレが登場(5日)
田中R工房主催「英傑アテルイ人形展」開催〔千葉県千葉市〕(9日~)
6月及川洵著『蝦夷アテルイ』(文芸社セレクション)発刊
DVD「火怨・北の英雄アテルイ伝」発売
8月第17回湘南ねぶた祭りに「阿弖流為」出陣〔神奈川県藤沢市〕
9月第9回阿弖流為・母禮の慰霊祭〔奥州市羽黒山〕(7日)
第12回母禮の慰霊祭〔奥州市前沢区生母耕雲院〕(13日)
「アテルイの日」イベント開催〔奥州市〕。アテルイ太鼓他(17日)
円城寺龍句集『アテルイの地』(角川学芸出版)発刊
第7回アテルイ・モレ祭〔大阪府枚方市牧野公園〕(23日)
JR東日本主催の駅からハイキング「古代英雄アテルイと南部鉄器の里めぐり」〔JR水沢江刺駅〕(23日)
『週刊 新発見!日本の歴史』13号に「坂上田村麻呂と阿弖流為」(樋口知志)
10月樋口知志著『阿弖流為』(ミネルヴァ書房)発刊
11月第20回阿弖流為・母禮の法要〔京都清水寺〕(9日)
12月ひらかた肝高倶楽部主催、現代版組踊「火怨の蝦夷、阿弖流為」第2回公演
〔枚方市市民会館大ホール〕(1日)
奥州市立常盤小学校の校庭に「アテルイの里」の石碑(室塚あや子氏が建立)
2014年2月奥州市埋蔵文化財調査センターで長編アニメ「アテルイ」上映会(16日)
3月ウォーゲーム日本史第21号『阿弖流為伝』発売(20日)
5月奥州市の東水沢中学校に<阿弖流為の郷>の石碑建立(室塚邦良・あや子夫妻の寄贈)(12日)
9月第10回阿弖流為・母禮の慰霊祭〔奥州市羽黒山〕(6日)
第13回母禮の慰霊祭〔奥州市前沢区生母耕雲院〕(9日)
「アテルイの日」記念講演会 伊藤博幸「延暦8年の合戦を読み解く」〔奥州市〕(17日)
JR東日本主催の駅からハイキング「古代英雄アテルイと南部鉄器の里めぐり」〔JR水沢江刺駅〕(21日)
第8回アテルイ・モレ祭〔大阪府枚方市牧野公園〕(23日)
11月第21回阿弖流為・母禮之碑法要~建碑20周年記念~〔京都清水寺〕(8日)
12月ひらかた肝高倶楽部主催、枚方歴史ミュージアム「火怨の蝦夷 阿弖流為」第三回公演
〔枚方市市民会館大ホール〕(14日)
2015年1月「氷刀火(ひとか)伝 カムイレラⅡ」公演 ミュージカル座
2月長編アニメーション「アテルイ」上映会〔奥州市埋蔵文化財調査センター〕
4月『日本経済新聞』文化欄に「蝦夷の英雄 結ぶ絆」掲載
5月及川洵著『蝦夷アテルイ(修訂・新装版)』(文芸社文庫)発刊
創像工房新人公演「アテルイ」(原作:中島かずき)
7月歌舞伎「阿弖流為」公演〔新橋演舞場〕
大阪高校演劇祭で金蘭会高校演劇部が「アテルイ」(中島かずき作)上演
8月幻想時代劇「阿弖流為~歴史から消された王~」公演〔新宿村LIVE〕
9月第11回 阿弖流為・母禮の慰霊祭〔奥州市水沢羽黒山〕
第9回アテルイ歴史の里まつり〔奥州市水沢神明社〕
第9回アテルイ・モレ祭〔大阪府枚方市牧野公園〕
10月歌舞伎NEXT『阿弖流為』公演〔大阪松竹座〕
第13回 アテルイ・モレ~ロマン古道~東海道を歩く会
11月第22回 阿弖流為・母禮之碑 法要〔京都清水寺〕
12月『火怨の蝦夷 阿弖流為』公演〔大阪歯科大学楠葉学舎〕
「晦日明治座納め・る祭」第1部お芝居「将の器」〔明治座〕

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2012年12月 2日

阿弖流為 母禮 慰霊碑

阿弖流為 母禮 慰霊碑

建立場所
岩手県奥州市水沢羽田町字御山下 羽黒山山頂
建立年月
平成17年(2005)9月17日
建立者
阿弖流為・母禮慰霊碑建立実行委員会(会長 及川松右衛門)
碑の概要

碑は黒御影石で芝台、台座をいれると高さ2.61m、幅1.66m。
石碑には阿弖流為と母禮の名前を並べ、その下に 慰霊碑と刻まれている。揮ごうは清水寺の森清範貫主。碑の脇に高さ1.2mの碑誌が建つ。
慰霊碑にはアテルイとモレが処刑された河内国の土(枚方市牧野公園内の塚の土)を分霊として納めている。
建立場所は羽黒山頂の出羽神社から西に200mほどのところで、胆沢平野を望む一段と高い絶好の場所。

碑誌文面

宝亀七年(七七六)以来、度重なる朝廷軍の攻撃に対し古代胆沢の蝦夷と呼ばれた人々は、郷土を守るべく敢然と立ち上がりました。
延暦八年(七八九)には勝利を収めましたが、その後も繰り返された戦いにより多くの命が失われ、胆沢の地は荒廃しました。
地元胆沢の長阿弖流為と母禮は、仲間五百余人と共に坂上田村麻呂に降伏します。
二人は、延暦二十一年(八〇二)八月十三日(九月十七日)に河内国(大阪府枚方市)で処刑されました。
阿弖流為、母禮をはじめとする先人たちの自主独立の気概、郷土愛、友情は私たちの誇りです。
ここに多くの賛同者の浄財により、ゆかりの地に慰霊碑を建立し、永く顕彰します。

平成十七年(二〇〇五)九月十七日
後 藤 晨 撰文

碑説明板

アテルイ・モレ顕彰の地
朝廷は服属しない陸奥の民を夷狄・毛人・蝦夷などと呼び、蔑視していましたが、八世紀の中ごろ以後、砂金が採掘され、農耕が進み、馬が飼育されるようになると、宝亀七(七七六)年の第一回以降四回にわたって大軍を動員し、攻め入ってきました。
胆沢の長アテルイと盤具の長モレは、この侵略阻止に立ち上がり、延暦八(七八九)年、巣伏(四丑橋付近)の戦いでは、紀古佐美の朝廷軍に大勝利をおさめました。
その後も朝廷軍は再三侵攻し、延暦二十一(八〇二)年には胆沢城が築かれたため、やむなく仲間五百余人とともに、坂上田村麻呂に降伏しました。
二人は同年八月十三日(新暦九月十七日)に河内国(大阪府枚方市)で処刑されました。この羽黒山は、『続日本紀』延暦八年六月条の「四百人ばかりありて、東山より出でて官軍の後を絶てり」の東山に比定できることから、私たちはアテルイ・モレを始めとする先人たちの自主独立の気概、郷土愛に深く心を打たれ、ここに慰霊碑を建立しました。今後、この地を「顕彰の地」として、永く語り継ぎたいと考えています。

平成二十一(二〇〇九)年九月十七日
アテルイ・モレを慰霊する会    及川洵 撰文

建立経緯

京都清水寺に平成6年に碑が建立され毎年法要が行われているが、地元では顕彰すれども慰霊する碑はなく、 碑建立はアテルイに関心を寄せる地元関係者の長い間の念願になっていた。 当会の及川洵会長をはじめとする水沢市(現奥州市水沢)羽田町の有志を中心に、同町の羽黒山頂への建碑を呼びかけ、2004年2月に碑建立実行委員会(及川松右衛門会長)が設立され、準備が進められた。 同年11月には、アテルイとモレが処刑された河内国の土を分霊として慰霊碑に納めることとし、枚方市の片埜神社の協力を得て、隣接する牧野公園の塚の土をもらいうけた。
翌年の7月27日に地鎮祭を行い、9月17日の「アテルイの日」に合わせて入魂並びに除幕式を行った。

慰霊祭

毎年9月の第2土曜日に慰霊碑の前で執り行われます。
阿弖流為・母禮を慰霊する会(佐藤健寿会長)の主催で、当会も毎回開催に協力、参加しています。

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2012年12月 2日

北天の雄 阿弖流為母禮之碑

北天の雄 阿弖流為 母禮之碑撮影:和賀亮太郎

建立場所
京都府京都市東山区清水 清水寺南苑
建立年月
平成6年(1994)11月6日
建 立 者
関西胆江同郷会、アテルイを顕彰する会、関西岩手県人会、京都岩手県人会
碑の概要

総高235㎝(台座含む)。碑石は岩手県産御影石(高さ185㎝、幅165㎝)。碑表面に東北地方の地図が彫り抜かれ、清水寺の森清範貫主の筆で<北天の雄 阿弖流為母禮之碑>と刻まれている。碑裏面には碑の説明文と建立者の名が刻まれている。

碑説明文
八世紀末頃まで東北・北上川流域を日高見国と云い、大和政府の勢力圏外にあり独自の生活と文化を形成していた。政府は服従しない東北の民を蝦夷と呼び蔑視し、その経略のため数次にわたり巨万の征東軍を動員した。
胆沢(岩手県水沢市地方)の首領・大墓公阿弖流為は近隣の部族と連合し、この侵略を頑強に阻止した。なかでも七八九年の巣伏の戦いでは勇猛果敢に奮闘し政府軍に多大の損害を与えた。
八〇一年、坂上田村麻呂は四万の将兵を率いて戦地に赴き帰順策により胆沢に進出し胆沢城を築いた。阿弖流為は十数年に及ぶ激戦に疲弊した郷民を憂慮し、同胞五百余名を従えて田村麻呂の軍門に降った。田村麻呂将軍は阿弖流為と副将・磐具公母礼を伴い京都に帰還し、蝦夷の両雄の武勇と器量を惜しみ、東北経営に登用すべく政府に助命嘆願した。しかし公家達の反対により阿弖流為、母礼は八〇二年八月十三日に河内国で処刑された。
平安建都千二百年に当たり、田村麻呂の悲願空しく異郷の地で散った阿弖流為、母礼の顕彰碑を清水寺の格別の厚意により田村麻呂開基の同寺境内に建立す。両雄をもつて冥さるべし。

一九九四年十一月吉祥日
関西胆江同郷会、アテルイを顕彰する会、関西岩手県人会、京都岩手県人会

顕彰碑文面

八世紀末頃、日高見国胆沢(岩手県水沢市地方)を本拠とした蝦夷の首領・阿弖流為(アテルイ)は中央政府の数次に亘る侵略に対し十数年に及ぶ奮闘も空しく、遂に坂上田村麻呂の軍門に降り同胞の母礼(モレ)と共に京都に連行された。
田村麻呂は敵将ながらアテルイ・モレの武勇、人物を惜しみ政府に助命嘆願したが容れられず、アテルイ・モレ両雄は八〇二年河内国で処刑された。
この史実に鑑み、田村麻呂開基の清水寺境内にアテルイ・モレ顕彰碑を建立す。

建立経緯

関西在住の岩手県水沢市(現奥州市水沢)周辺出身者で組織する関西胆江同郷会(高橋敏男会長)は、河内国で処刑されたアテルイとモレの供養碑を建立すべく平成元年頃より活動を進めていたが、平成2年10月に清水寺に対し同寺域にアテルイ、モレの供養碑を建立したい旨の要望書を提出、平成3年2月に応諾の正式決定をいただくに至った。清水寺の格別の厚意、同郷会の熱意、水沢、岩手にゆかりある人の尽力もあった。
清水寺への碑建立の決定は地元水沢においても大きな賛同をもって受け入れられ、これを機にアテルイを顕彰する会(藤波隆夫会長)が設立されるなど、アテルイ顕彰の一大事業として推進がはかられることになった。
関西胆江同郷会、アテルイを顕彰する会、水沢市関係者等が、平成3年10月と平成4年5月に清水寺を訪問、碑の建立場所、碑の規模、建立年等を協議、基本合意し、平成6年(1994年)の平安建都千二百年祭の年に合わせて建立された。

法   要
毎年11月の第2土曜日に碑の前で顕彰と慰霊供養の法要が執り行われます。
関西アテルイ・モレの会(和賀亮太郎会長)の主催で、当会も毎回参加しています。

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