情報283 「Qさま!!」の問題にアテルイ

テレビ朝日の人気番組「クイズブレゼンバラエティQさま!!」の問題にアテルイが取り上げられた。
4月11日放送の「学力王NO.1決定戦3時間スペシャル」で、各界の学者・博士・先生が選んだ世の中を変えたスゴイ指導者30人から全問を出題、上位3人が決勝ラウンドに残る予選第18問に、日本で活躍した「ある英雄」は誰かとして問題が出された。
ちなみに、ここまで勝ち抜いてきた「最強のインテリ」は、元祖インテリ芸能人・辰巳琢郎(京大卒)、「スゴイ本」の学力王・三浦奈保子(東大卒)、2度の学力女王・天明麻衣子(東大卒)、2度の学力王・やくみつる(早大卒)、東大を4回卒業した吉田たかよし、の5人。

この英雄を選んだのは、この英雄を主人公に小説を書いたという博物学者の荒俣宏。
「僕が小説を書こうとした理由は、水戸黄門のことを聞いたから。実は水戸黄門は、秘密の使者をもって何年かに一回、ある首の模型を清め、悪くなったところを補修している。東北が平穏になるようにするには犠牲になった○○の首を鎮魂しなくてはならない...」
というようなことを話し、次のように出題される。
水戸黄門は、[1]数年に一度、英雄の首の模型を清め補修 ※諸説あり
水戸黄門は、[2]東北の平和を祈念し英雄を鎮魂していた ※諸説あり
このスゴイ英雄は誰?
そして、一枚目のパネルは、『清水寺縁起絵巻』の一部写真に「10年以上朝廷軍の進撃を阻む」と出るが、回答者なし。
二枚目のパネルは「巣伏古戦場」と彫られた石碑とよくわからない川らしき写真で「岩手県にある戦場跡地」と出て、ここで天明麻衣子が正解のアテルイと答えた。
本人いわく「ちょっと賭けでした。カタカナで東北に昔いた、蝦夷(えみし)の似たような名前の人がいっぱいいたような気がしたが、アテルイが一番有名だなと思ったので...」。

三枚目のパネルは、「アテルイのイメージ肖像」(当会提供)と鹿島神宮の悪路王首像の写真(「本人とされる首像」との説明)で、「古くから東北地方に住んでいた人々(蝦夷(えみし))のリーダー。奈良・平安初期、朝廷軍を2度倒し郷土を守った英雄」との説明。
四枚目のパネルは、「802年蝦夷兵とともに降伏」との説明文が入った降伏の場面が描かれた絵と坂上田村麻呂の肖像画の写真に、「最後は坂上田村麻呂の遠征軍に降伏。現在の大阪・枚方市付近で処刑された」との説明だった。
そして最後に、世の中を変えたスゴイ指導者、ファイルナンバーはNO.10「東北の英雄アテルイ」と、再び「アテルイのイメージ肖像」とともに紹介された。

続いて、アテルイの慰霊碑がアテルイとかかわりの深い人物が建てたある建造物の境内にあると前置きし、第19問の地理の問題として「パラパラ建造物」この建物は何?と出題。
12枚に分割された写真が次々にめくられていき、緑の木々の背景から5枚目の大きな屋根が見えたところで三浦奈保子が正解の清水寺と答えた。
本人いわく、「私、関西に住んでいて清水寺に行ったりしたんで、朝廷軍の指揮をとっていた坂上田村麻呂が造ったというのを知ったんです」。

最後に、「アテルイを降伏させた朝廷軍の指揮官、坂上田村麻呂が建てた清水寺で慰霊した」と説明があって、アテルイに関する問題は終了した。
 

解説

アテルイを選んだ荒俣宏氏は、幻想文学、博物学、風水など多岐にわたるジャンルで活躍していて多数の著作がある。
荒俣氏が最初に話した「ある首の模型」とは、茨城県城里町高久の鹿島神社に伝わる「悪路王頭形(悪路王面形彫刻)」のこと。
水戸黄門(水戸藩二代藩主徳川光圀)は元禄六年(1693年)に傷んだ頭形を修理させ、文政八年(1825年)には八代藩主徳川斎脩も修理させたとの記録が残っている。
ただ、修理の記録はこの二回である。

また水戸黄門が「東北の平和を祈念し英雄アテルイを鎮魂していた」というが、そのような事実は確認できない。
徳川光圀は『大日本史』を編纂させ、古代の史蹟等にも強い関心を寄せているが、アテルイに対する特別な認識を示すものなどはどこにも見えない。
水戸藩主が「悪路王頭形」の修理をさせたことなどの意味は、坂上田村麻呂が「蝦夷征伐」をして朝廷の威光を高めたことから、その歴史的証拠物として、征伐された蝦夷の象徴としての悪路王の頭形に存在価値を認めたからであった。

荒俣宏氏がアテルイを主人公に書いた小説とは、『帝都幻談』下(2007年)のことであろう。
内容は、「嘉永六年、黒船という外国の妖怪の侵寇に呼応するかのごとく、日本の各地で目覚めた先住の妖怪が大挙して江戸に攻め寄せつつあったが、これらの事態に乗じてすべての妖怪どもの怨念を凝縮して戦を仕掛けてきた「鬼」と対決する勇者の物語」であるとしている。
このなかで、アテルイは「蝦夷の怨霊アテルイ」、「怨霊アテルイの首」として登場するのである。
ただし、これが小説の主人公といえるかどうかは疑問。

「水戸領内の神社に、古くより「悪路王」の生首と称される社宝が伝えられていた。 もちろん、本物の生首ではなく、カラクリ細工の人形である。 だが、数すくない古老の証言によれば、じつは細工物は飾りに過ぎず、ほんとうの干し生首が神社の地下祠に祀られているのだと噂されていた。 この生首、水戸領内では、悪路王あるいは阿黒王と呼ばれている。 その正体は、坂上田村麻呂に敗れた蝦夷最強の猛者であったアテルイだと噂されている。 アテルイは、今もなお、大和朝廷を呪っているという。 なぜならこの蝦夷人は、田村麻呂にともなわれて京にのぼり和睦の評議に臨んだが、京で捕らえられ、だまし討ちも同然のかたちで首をはねられたからであった」。

このように「怨霊アテルイ」となる背景とアテルイの生首の存在を語り、怨霊アテルイの甦りを最大の山場として戦いの決着に進むのである。.........
〔文責:朝〕