情報259 堀江朋子『日高見望景』

 在京の著者は日本藝術家協会会員で「文芸復興」代表だが、岩手県北上市口内町ふるさと大使にもなっていて、岩手県との縁を深めるなかで、古代蝦夷の歴史に関心を寄せ、エミシの無念に心を添わせるようになる。本書の副題は「遥かなるエミシの里の記憶」である。序章の「被災地へ」から終章の「再び被災地へ」で締めくくるが、第一章は「石巻市と多賀城市~古代王権の東北侵攻~」、第二章は「水沢市・枚方市・人首(米里)~三十八年戦争とその終焉~」、第三章は「盛岡市・矢巾町・北上市~東北統治の衰退~」というように、古代東北(宮城、岩手)の歴史を追って、それぞれの地域を訪問、念入りに取材して詳細に叙述している。エミシに関わる歴史が著者の蝦夷への共鳴とともに伝わってくる内容である。
 アテルイについては第二章で中心的に取り上げている。「胆沢の戦いと阿弖流為・母禮-水沢」、「阿弖流為・母禮終焉の地-大阪府枚方市」、「伝説の人 阿弖流為・坂上田村麻呂」の展開。ここでは当会発行の『阿弖流為復権』(2004年)が主要参考文献として数カ所に引用されている。アテルイとモレが処刑された地と考えられる枚方市には平成24年2月に訪れた後、牧野公園の塚について東京から枚方市史編纂室(和田氏)に電話で問い合わせている。「老婦人が枚方市を訪れて夢の話をしたというのは、本当ですか」、と私は質問した。「ええ、それは、事実です」、「その内容も?」、「大体は、そのようですが、伝えられていくうちに、尾ひれが付いたりもしたのでしょう。それに、老婦人が拝んだ石は、昭和二十年代に、ここに運ばれてきたもので、昔からあったわけではないのですよ」、「その老婦人はご存命で?」、「いや、亡くなられています。三十年も前のことですから」。誠実そうな年配の男性の声音に、戸惑いの気配が感じられた。「アテルイ・モレの塚と確定はできないのですね、埋め墓ではなくて、参り墓ですね」、私は云った。「そうです、ここを、二人の塚と確定する資料が見つからないかぎり、市として碑を建てることはできないのです」、と少し和んだ声が返ってきた。
 そして堀江さんは、「おばあさんの夢、いいなあ。しみじみと思った。塚の特定はできなくてもいいじゃないか。参り墓で充分である。阿弖流為・母禮は、きっと成仏できただろう。」と云う。本当にそのとおりである。「埋め墓」と「参り墓」、学問的な定義云々抜きの字句通り、牧野公園内の塚はアテルイとモレの「参り墓」として、これからも堂々とあり続けてよい。おばあさんの夢、アテルイへの思いから始まって大事にされてきた塚であり、アテルイとモレが処刑された枚方にあって唯一「参り墓」としての年月を積んできた塚であるのだから。 〔図書新聞、2012年5月発行〕