情報241 関西との絆づくり

 地元の胆江日日新聞は、毎年十二月にその年に亡くなられ地域に貢献された方々について、その功績をたたえ、紙面「追悼碑」として特集している。当会の初代会長の故藤波隆夫氏(84歳)については「関西との絆づくり」の見出しで掲載されている。以下、全文を紹介する。
 ほとんどの人が「アテルイ」の存在を知らなかったころ、史書にある「河内国植山(杜山)」の処刑地特定に向けて現地に足を運んだ。四半世紀以上も前になる。河内一宮・片埜神社がある大阪府枚方市の一帯だ。枚方市教育委員会は、アテルイといっても返事もしてくれない。周囲に聞いても誰も知らない。「アテルイの塚」が建てられた現在の状況とは大違いだ。同じころ、大阪でもアテルイ顕彰に熱心な人たちがいた。故高橋敏男さんを中心とする「関西同郷会」のメンバーだ。大阪・枚方が熱心でないことを知ると、ただちに京都・清水寺に話を持ちかけた。藤波さんとともに、京に上った。同郷会との間で建立場所の選定なども話し合った。「観光客の邪魔にならないよう、あの境内の奥の方でもいいのではないか」藤波さんが遠慮がちに言った。こちらもうなずいた。ところが、清水寺が「どこでもよろしいですよ」と言った。「どこでもいい」といわれて言葉の真意をはかりかねていたら、「さすがに、開山堂の前(入場口近く)だけは、勘弁してもらいます」と言って清水の大西真興執事長が笑った。それが現在の清水の舞台の真下に決まって驚いた。「黒石寺の執事長」と声をかけたら「大西さんみたいに言うな。おれは掃除専門の寺男だ」と言った。今日のアテルイ顕彰は、藤波さんが掘ったその基礎の上にある。「いまどきは、新しくつくるのは何ほどのこともない。だけど、長く守るというのが難しいんだ」。長く病気療養していたが、境内のせみ時雨を待たずに不帰の客になった。まさに、古きを守るために尽くした人生だった。水沢黒石町=平成21年5月28日没