情報227 鈴木拓也著『戦争の日本史3 蝦夷と東北戦争』

 本書は律令国家として初めて征夷を行った和銅二(709)年から、いわゆる「38年戦争」を終わらせた弘仁二(811)年の征夷までを対象とし、律令国家と蝦夷プロローグ、Ⅰ奈良時代前半の征夷、Ⅱ光仁朝の征夷、Ⅲ桓武朝の征夷、Ⅳ征夷の終焉と九世紀の蝦夷社会、征夷の側面観エピローグ、で構成されている。アテルイが取り上げられるのは「Ⅲ桓武朝の征夷」の、2.延暦八年の征夷と阿弖流為の登場、3.延暦十三年の征夷と平安遷都、4.延暦二十年の征夷と阿弖流為の降伏。
 まず「北上盆地の蝦夷は、本来強力であった上に、阿弖流為というカリスマ性を持った族長が現れ、彼らの武力を総結集して国家に対抗した。本来部族集団ごとに活動していた彼らは、阿弖流為のもとに大同団結し、国家による圧倒的な武力侵攻に三度にわたって徹底抗戦したのである。」とする。次に延暦八年の戦いが詳述され、その中で征夷軍は動員計画の52,800人をかなり上回っていたとし、また征東副将軍多治比浜成が船団を率いて三陸海岸沿いを征討したと想定する樋口知志氏(岩手大学教授)の見解に従うべきとしている。アテルイの降伏では、田村麻呂の受け入れによりアテルイは大墓公という姓を与えられ、大墓は「タモ」と読み羽田町の田茂山に由来するという及川洵氏の見解を紹介している。アテルイの処刑地については、『日本紀略』は郡名を記していないので「植山」にせよ「椙山」にせよ交野郡内に求める確かな根拠がなく不明としておくしかないとする。枚方市牧野公園内の阿弖流為の首塚と称する塚状の高まりについては、古くさかのぼる伝承ではなく、また、この地で阿弖流為を処刑したり、葬ったりすることは考えがたいとする。著者は1965年仙台市生まれ。近畿大学准教授。吉川弘文館、2,625円。