情報180 阿弖流為・母禮の慰霊碑建立

 平成17年(2005)9月17日の「アテルイの日」、現奥州市水沢区羽田町の羽黒山頂出羽神社神域に<阿弖流為 母禮 慰霊碑>が建立され、午後1時半から<入魂並びに除幕式>が行われた。除幕式に先立ち、同神社境内では記念の郷土芸能発表会として北天太鼓(前沢町)、鶯沢神楽(羽田町)、伊藤流行山鹿踊(同)、鋳物太鼓(同)が協賛奉納された。式典にはアテルイとモレが処刑された地とされる大阪府枚方市からの関係者や関西アテルイ・モレの会会員ら約二百人が参列した。入魂の儀では枚方市にある首塚から採取した土や碑建立寄付者の芳名簿を碑の下に安置。及川会長、高橋光夫水沢市長、相原正明江刺市長、清水寺森貫主らが地元の子供たちと紅白の綱を引き除幕した。慰霊碑は高さ約3メートルの黒御影石製。清水寺の森清範貫主が「阿弖流為 母禮慰霊碑」と揮毫した。碑の脇には高さ1.2メートルの碑誌が立てられた。
 羽黒山は延暦八年(789)の「巣伏の戦い」でアテルイが朝廷軍を破った古戦場の一部と考えられている。参列者は地元で初めての慰霊碑に合掌し、郷土の英雄に思いをはせた。建立実行委員会の及川松右衛門会長は、「アテルイをはじめとする蝦夷と言われた人たちのレジスタンスは、自主独立の気運や戦争の愚かしさを伝えている。今後も顕彰活動を続けていきたい」と挨拶。森貫主は「郷土の英雄を回向する真摯な気持ちで揮毫した。地域を超えて交流し、古代文化を継承し発展させていきたい」と話した。
 アテルイとモレの慰霊碑は、京都の清水寺に建立されてすでに10年余が経過した。しかし地元の胆江地方には慰霊施設がないことから、「二人の魂を岩手に戻そう」と当会の及川洵会長をはじめとする有志によって「阿弖流為・母禮慰霊碑」建立実行委員会を結成。平成16年11月には枚方市の首塚から分霊し、清水寺で慰霊祭を開催。この間、建立のための募金活動を続けることにより五百万円を超える浄財が寄せられていた。今後は、この慰霊碑を中心に地元の慰霊祭も毎年行われることになり、アテルイの顕彰活動など各種の取組みもより活発に展開されていくことが期待されている。