情報157 雑誌

[1]『週間 ビジュアル日本の歴史 奈良から平安へ5』(デアゴスティーニ2001.12) 第四章 呪われた桓武朝 のFOCUS で、「桓武天皇こだわりの蝦夷征討大作戦」を検証。第五章 中央政権への蝦夷の反抗 には「朝廷軍を手こずらせた謎の蝦夷総帥・阿弖流為」の見出しでアテルイについて詳しく紹介している。
[2]『週間 再現日本史 原始・奈良10』(講談社2002.3)ニュース・ファイル「『国家鎮護』と女帝」(目録752~793)の1ページ目には悪路王首像の大きな写真を背景に"大和政権の蝦夷侵攻と城柵"の図があり、「●アテルイ、勝つ!(延暦8年6月3日)北上川中流で、五万人余の政府軍にゲリラ戦を挑んだ蝦夷軍が、大勝した。写真は、首長・アテルイがモデルと伝わる悪路王の首像」との説明文がある。"歴史瓦版"の発見のコーナーでは、岩手発として「蝦夷・阿弖流為の砦か 巣伏の古戦場で遺構発掘」との見だしで昨秋実地した羽黒山市民発掘の成果を紹介している。  
[3]『ふうらい』(六花舎2002.4) "フィールドワークで岩手の謎に挑む"という季刊誌で、特集に「鬼(エミシ)紀行」を組んだ。表紙には悪路王首像の横顔のアップ写真。紀行そのⅠ「誇り高きエミシの魂は、永遠に生き続ける。」(文◎高橋政彦)は、アテルイを軸にした内容(8ページ)になっている。 
[4]『歴史読本』4月号(2002.4) 3分で読める歴史ドラマ≪れきどくショートショート専科≫に、読者の松平稲五郎さんが投稿した「古代みちのくの英雄」が掲載されている(2ページ)。「...それから半年ほど経った年の暮れ、襤褸のような衣を纏った坊主が、アテルイとモレの晒し首の前にきて額ずいた。...坊主は涙を流して謝っている。この坊主こそ誰あろう、かつての征夷大将軍坂上田村麻呂の成れの果てであった。」で、お終い。
[5]『トランヴェール』6月号(2002.6) JR東日本が発行している旅情報誌。「みちのく歴史紀行・その名は阿弖流為」の大特集が組まれた(18ページ)。アテルイの人物像などに触れているほか、水沢市埋蔵文化財調査センターの伊藤博幸副所長が延暦八年の戦いの想定図や、各地の遺跡の出土品から東北古代の社会について解説、後半は「アテルイの面影を旅する」と銘打ちアテルイに関係した歴史スポットをたどるモデルコースを紹介している。同誌はJR東日本管内を走る特急グリーン車内で無料配布されたほか、駅売店で三百円で販売された。
[6]『NEXT Stage 』Vol.31(2002.6) 季刊の"いわて就職情報誌"で、橋本祐子さんが「【アテルイブーム】現代の岩手に息づく蝦夷の英雄の物語」を書いている(2ページ)。
[7]『歴史街道』6月号(2002.6) 中津文彦氏の「東北の英雄・アテルイが「逆賊」にされた本当の理由」が載っている(7ページ)。アテルイは「朝廷への帰順を申し出、そのかわり徴税システムを守ってほしい、と訴えたかったのではないか。」とし、その訴えを一蹴した朝廷は、「黄金さえ手に入ればよかった。できるだけ多くを収奪できれば、陸奥国の安定などはどうでもよかったのだ。」とする。それが"本当の理由"?。
[8]『 Basic 』第56号(2002.7) 「アテルイ(阿弖流為)・1200年目のメッセージ。」として、記念事業の多彩な内容とアテルイ顕彰の取組み経過などを紹介(4ページ)している。同誌は一関市の㈱平野組が発行している"くらしと文化の地域情報誌"。
[9]『岩手経済研究』9月号(岩手経済研究所2002.7) 巻頭の"やまびこ"に、新田清二水沢商工会議所会頭が「アテルイと田村麻呂、歴史文化の中に新たな胎動」を寄稿している。アテルイ没後千二百年にふれ、「アテルイを通じたコミュニティとチャレンジを梃子として、地域の再生を果たしたい」という。
[10]『地域づくり』第158号(2002.8) 財団法人地域活性化センターが発行する"地域活性化のための情報誌"。そのトピックスに水沢市を取り上げ、同市社教課の佐久間氏が「没後千二百年でイベント目白押し、アテルイを英雄として評価」のタイトルで取組みの内容を紹介(1ページ)している。