情報115 工藤雅樹著『古代蝦夷の英雄時代』(新日本新書)

蝦夷社会はどのような社会だったのかということを主題としている。第4章4の「阿弖流為と胆沢の蝦夷」では、政府軍と蝦夷側との武力対決の経過にふれたうえで、「胆沢の蝦夷社会」について言及している。以下、抜粋して紹介する。
「胆沢の蝦夷社会はたび重なる数万規模の政府軍を相手に、その攻撃を一歩も退くことがなく戦う実力を具えていた。そして阿弖流為や母礼の指導力は、単一の、あるいはごく少数の集落を超えた広い範囲に及んでいたのである。このようなまとまりを生み出した背後には、七世紀の後半以来展開してきた、安定した農耕生活があったことは容易に推測できるであろう。」
「しかしながら胆沢の蝦夷勢力は政府側との関係も含めて、決して孤立した存在ではなかった。そのことを端的に物語るものが阿弖流為も母礼もそれぞれ大墓公、磐具公というカバネを有していることである。先にも述べたように、公というカバネは政府側がそれぞれの地域の蝦夷の族長に与えたものである。...阿弖流為や母礼もある時期には大墓公、磐具公というカバネを与えられるほどに、政府側と良好な関係にあった時期もあったのだが、胆沢地方の蝦夷に反政府的な面が強く出てきたときにそのカバネが剥奪されたのであろう。...そして阿弖流為や母礼が政府側に降り、その処置が未定の段階で大墓公、磐具公というカバネが復活したのであろう。」