情報110 工藤雅樹著『古代蝦夷』(吉川弘文館)

アテルイに関連しては、日本最北の前方後円墳である角塚古墳等にふれて、「後にこの地に政府軍をもっとも悩ませた阿弖流為らに率いられた蝦夷勢力が出現し、また胆沢城が造営されるのもこの点と関係するのであろう」と述べている。アテルイの名前に関しては、「大墓君阿弖利為」「大墓公」と二通りの読みをしている。また、「公」の姓を有していることからすると、「一時は政府側に属していたことがあるのであろう。」「政府側との接触によって公という姓を与えられ、地域の族長としての地位を公認され、保証されていたこともあったのである。」としている。著者によると、蝦夷社会は部族制社会の最終段階としての部族同盟の域に達しようとしていた。「古代国家が決定的に成立する以前に、共同体成員の先頭に立って戦う英雄の姿は、...胆沢地方の蝦夷を率いて坂上田村麻呂と対決した阿弖流為や母礼...などに見ることができる。彼らもまた部族成員の先頭に立って行動する存在であり、英雄時代の英雄であった。」「もし部族同盟段階から更に一歩を進めることができれば、蝦夷社会にも古代国家が誕生し、...そうなれば阿弖流為のような軍事首長の後継者は国王に転化していたであろう。」という。