情報88 三好京三「みちのくの鬼神 悪路王の正体」

宮沢賢治の詩「原体剣舞連」の中にも登場する悪路王は、平泉の達谷窟、姫待滝に残る伝説からは「弱者に対してむごい悪者たちの王」であった。この悪路王については二つの像があることが知られている。ひとつは茨城県鹿島神宮にあり、今では悪路王の顔の原型のごとくに認識されているものである。もうひとつは、同じ茨城県であるが桂村の鹿島神宮にあるものである。三好氏は「鹿島神宮の悪路王像は蛮勇の表情だが、(桂村の)鹿島神宮のものは幽鬼の如くだ。子女をかどわかし、悪行を働く悪路王の顔は、右の二つの像に見られるのである。」と指摘している。
 悪路王の正体ということでは、【1】「悪路王は伝説上の存在であり、実在とは言えない」。【2】しかし、「朝廷に反逆し、将軍田村麻呂によって征伐された蝦夷の王アテルイは実際にいた。そのため、悪路王はしばしばアテルイに擬される」。【3】伝説その他で悪路王が顔を出している場所をみると「坂上田村麻呂の征夷の道」にあたっており、「悪路王はやはり田村麻呂によって攻撃されて討たれ、あるいは降伏した アテルイ、モライ、その伝説的な存在ということになりそうである。」とする。最後は、「●王化に従おうとしない荒ぶる民●礼儀を解せぬ野蛮な民の最後の王として、悪路王は伝説として、アテルイは史実として残ったのである。...そして坂上田村麻呂にかかわる両エミシの王のゆるぎない共通性は、延暦二十年に、その命運を絶たれるところだ。やはり悪路王はアテルイだったのである。」と結んでいる。平成11年9月に発行された『歴史と旅』増刊号に掲載されている。