情報36 江本好一「母礼の根拠地」

 アテルイと共に降伏し、斬首された「盤具公母礼」。その母礼の根拠地について、延暦八年の戦いと現地の地勢および伝承などから検討を行い、現在の胆沢町の大歩・小歩一帯をそうだとする新説を提唱する。
延暦八年における征夷軍は前中後の三軍編成であったが、その中で「左中軍」というのは中軍が進行方向に向かって左(西)方面に展開していたと解すべきで、それはその方面(大歩・小歩)に農業生産を主体とした蝦夷の大きな拠点があったからである。大歩・小歩は今はオオアゴ・コアゴといわれるが、これはオオアグ・コアグであったと思われ、この一帯は「アグ」と一つで呼ばれ、これが「イサワのアグ(胆沢の歩)」「イのアグ」となり「イアグ」「イハ(ワ)グ」に転訛して公の賜姓を付ける時、「盤具公」と表記された。という考察である。
高橋富雄氏の母体一体説について、「河東への渡河軍がまさに侵攻した通過点に母礼の勢力圏が存在したことになり、その時点で、少なくとも阿弖流為と共に、母礼の名前が出てきてもよさそうであるが、全く無いというのは納得し難いものがある」との指摘は頷ける。【『歴史研究』418号(新人物往来社1996年3月)】