『アテルイの日』制定宣言

古代史に刻まれた巨星、その名はアテルイ。豊かな大地と、そこに暮らす人びとを慈しみ、謂われなき王化に抗したアテルイ。西暦802年9月17日(陰暦8月13日)、一天の星となったアテルイ。
21世紀を迎えた私たちは、アテルイの崇高な精神を受け継ぎ、この地域の発展を願う。
そして、恵まれた自然環境と、人びとの絆を大切にして、共存共栄の未来を求める。
本日、アテルイゆかりの地から、あらゆる地域、あらゆる人びとに向けて、「アテルイの日」制定を宣言する。

2003年9月13日  アテルイを顕彰する会

アテルイの命日にあたる9月17日を「アテルイの日」に

延暦二十一年八月丁酉(十三日)、十数年間にわたって古代国家と対決し続けた胆沢の蝦夷の首長アテルイは、坂上田村麻呂に降伏後、遥か河内国において盟友モレとともに斬殺された。その日は、西暦にして802年9月17日のことであった。

それから1200年の節目を迎えた昨年(2002年)は、アテルイに関するシンポジウムや企画展開催などの歴史検証はもとより、各方面でさまざまな記念イベントが行われた。東京の新橋演舞場では、市川染五郎主演の「アテルイ」が時期を同じくして上演され、わらび座ミュージカル「アテルイ」は今年の全国公演に、長編アニメ映画「アテルイ」は全国での上映運動へと進んでいる。アテルイの没後1200年はアテルイ顕彰の記念すべき一年となり、今後の顕彰活動の深化と確かな継承を促す年にもなったのである。

私たちが平成3年4月に<アテルイを顕彰する会>を立ち上げた当時は、アテルイという名前もそれほど知られてはいなかった。しかし、京都清水寺に「阿弖流為・母禮之碑」を建立してからは、歴史教科書にも多く取り上げられるなど、ようやくアテルイに輝かしい光があてられるようになり、そのなかでアテルイ没後1200年を迎えることができたのであった。

私たちは昨年の記念事業をもって活動をとどめるのではなく、今後もアテルイに関心を持つ多くの人びとと広く交流しつつ、末長くアテルイを顕彰し続けていくことの必要性を強く感じる。私たちはその新たなスタートとして、アテルイの命日にあたる9月17日を「アテルイの日」として制定し、毎年この日を中心にアテルイらを偲び、顕彰し、交流する日とすることを呼びかける。