2015年3月25日

情報280 コバヤシ忠明『アテルイを育てた女たち』

延暦八年の合戦に大勝利したのは、蝦夷最大の豪族モレが、若いアテルイを「祭り上げ」、日高見国連合軍を組織してのものだった。
物語は胆沢の族長「巣伏」の長男として生まれながら、虚弱体質で家督は継げないと周囲に見られていたアテルイが、山で鍛えられ、戻って胆沢の大棟梁に祭られて戦いを進めていくものである。

10歳になったアテルイは一人前にするために軽業を使う青年「梵天」に預けられ、教育される。
「梵天」は口から火を吹いて敵を威嚇するテズマの術の持ち主であった。
しかし、2年後に大和の落武者に殺される。
アテルイはその後、山で出会った醜い老婆「野枝」と「春日」という孤児の娘と一緒に暮らすことになる。
「野枝」は軽業を身に着けた蝦夷出身の下女で、坂上苅田麻呂に仕えて密偵の仕事もしていた。
肉体強化に励むアテルイに御身刀を授け秘術を伝えたが、約一年後に田村麻呂の軍師で法華経の修行僧「薬丸」に殺される。
アテルイは残された「春日」と山で荒行を続けるが、16歳になり巣伏の村に帰ることを決意する。
胆沢では大和の大軍に対抗する連合軍を組織することになり、それを束ねる棟梁を誰にするかの会合が続いていた。そこにアテルイが呼び出され、口から火を吹く術を見せたことで棟梁に決まり、モレは守り役となって戦いが本格的に始まるのである。

しかし、蝦夷の連合軍が次第に劣勢となっていくなかで、この物語は完結することなく終わる。
最後のほうでは、「征夷の正義を賭けた戦い」とか、「蝦夷軍は人肉を食ってもという、極悪集団である」というような記述があり、著者の意図?が誤解されなければいいがと思う。
著者は会員。
【龍書房、2014年6月発行】

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2015年3月25日

情報279 阿弖流為・母禮之碑建立20周年記念法要

平成26年11月8日、平成6年11月に清水寺南苑に〈北天の雄 阿弖流為 母禮之碑〉を建立して20周年の記念法要が営まれました。
午前9時、仁王門横の広場で伊藤流行山鹿踊りと京都市の岩崎伝京都鬼剣舞を奉納、碑前に移動して笛師の森美和子さんが篠笛を奉納。
午前11時より森清範貫主と大西眞興執事長他一山の僧侶が総出仕されて記念法要が営まれました。
関係者総勢150余名が参列し、多数の観光客が見守るなかでの法要でした。

12時からは円通殿で森貫主により、関西アテルイ・モレの会の故高橋敏男初代会長、故安倍満穂第二代会長、他二名、アテルイを顕彰する会の故藤波隆夫初代会長、故一力一夫顧問、故佐々木盛副会長、故小河原淳事務局、故佐々木隆男前胆江日日新聞社社長の建碑に尽力された物故者の追善供養の法要が営まれました。
その後、森貫主の法話をいただき、松坂定徳会長から関係者への謝辞がありました。
「20年前は雨降りの中で碑の除幕式を執り行いましたが、今日は天気にも恵まれ、このように多くの参列者にお越し頂き、感激の至りであります。特に奥州市の皆様には遠くから駆けつけて下さり、常に励まされての20年間でありました。長い間には中断しそうな時期もありましたが、会員の皆様に励まされ、役員の皆様に支えられて今日を迎えることができました。心より感謝申し上げます」とのご挨拶でした。
午後1時からは会場を洗心洞に移して懇親会が行われました。
中締めの後、当会の有志がエミシの出で立ちで登場、安藤睦夫作詞作曲の「ああアテルイ」とわらび座のミュージカル「アテルイ」から「日高見我がまほろば」を熱唱すると、会場が一体となったごとくに大いに盛り上がり、最後は来年の再会を約してすべてを終了しました。

今回の法要には岩手日報社の東根千万億社長が初参加し、翌日の紙面には大きく記念法要の特集が組まれ、これまでの顕彰活動や清水寺の思いなどが紹介されました。
森貫主は記者の「なぜ碑の建立を快諾したのか」等のインタビューに、次のように答えています。
「田村麻呂公はアテルイ、モレを京都に連れてきて朝廷に助命の嘆願をしている。残念ながら大阪府枚方市で処刑されたが、2人の供養について真剣に考えた。清水の観音様に、敵も味方もなくみ霊の供養をしたというのが清水寺の始まりだ。だからこそ、碑を建ててもらうことが大本願の心に添うことだと思った。」
「これはアテルイ、モレの鎮魂の碑だ。それまでは碑らしいものはできておらず、一般の人は名前を知らなかった。1200年の歴史でアテルイ、モレにこれだけ光が当たったのは初めて。歴史の観点が変わってきた。先祖に対する思いを地元関係者がしっかり持って、努力してきたということだ。」
「碑ができたことで親しく交流を重ねている。これも田村麻呂公のご縁だと思う。歴史は単なる時間の経過ではなく、その時々に息吹を吹き込むことが大事。その点でアテルイ、モレが人々の意識の中によみがえり、顕彰されたことは大きい。縁をもらった私たちがこれを代々伝え、発展させることで、京都と岩手の人たちの交流をさらに重ねていきたい」。

また、延暦八年の会の佐藤秀昭会長は「ひとこと」の欄で、「感無量だ。関西と奥州で一緒に検討しながら浄財を集めたことが思い出される。建碑を機にアテルイの講演会やシンポジウムを開いたり、教科書でも取り上げられるようになったため、子どもたちも学べるようになった。今後も次世代に活動をつなげていきたい。恩讐を乗り越えて顕彰しようという清水寺の協力に感謝したい」と語っている。

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2015年3月25日

情報278 第10回阿弖流為・母禮慰霊祭

平成26年9月6日、奥州市水沢区羽田町の羽黒山頂に建立された<阿弖流為・母禮慰霊碑>の前で第10回となる阿弖流為・母禮の慰霊祭が執り行われました。
平成17年9月17日の「アテルイの日」に合わせ、碑の除幕式と慰霊祭を開催して早くも10年を迎えたものです。
当会は今回が節目となる慰霊祭になることから、主催する阿弖流為・母禮を慰霊する会(小野寺一雄会長)に申し出、共催団体となることを了承していただき開催に全面協力しました。

開催にあたっては関係諸団体他にご案内をし、京都清水寺からは森清範貫主、森孝忍法務部長、大西皓久執事補、坂井輝久学芸員。
関西アテルイ・モレの会(松阪定徳会長)からは柏山喬相談役、和賀亮太郎副会長兼事務局長、鈴木力会員。
大阪府枚方市の伝阿弖流為・母禮之塚保存会からは中野一雄会長。
福島県の田村歴史観光協議会からは景山勝夫会長、富田孝男事務局長他が参列。
地元からは小沢昌記奥州市長、佐藤修孝市議会議長、菊池達也奥州市観光物産協会会長他が参列しました。

午前9時30分から伊藤流行山鹿踊りと田植祭保存会による田植踊りが奉納された後、午前10時より慰霊祭式典が始まり、慰霊する会の小野寺一雄会長が主催者を代表して「古代蝦夷の英雄アテルイ、モレの遺徳を偲び、1200有余年の時空を超え、次世代に語り継ぐべく、この地に慰霊碑を建立して十回の記念の年となった。
この羽黒山慰霊地が心の安らぎを与える場として皆さまに愛され、来てもらえる楽しい歴史の丘になることを願い、今後とも顕彰事業を進めていきたい」とあいさつ。
祝辞のあと、神事が執り行われ、慰霊碑の前に設けられた祭壇の前で、小野寺会長はじめ市内の関係諸団体の代表、清水寺の森貫主他の来賓らが玉串を奉奠し、古代の英雄に思いをはせました。
慰霊する会と当会の会員を含め約70人が参列しました。

当日正午からは市内ホテルを会場に清水寺森清範貫主の記念法話が行われ、関係者、市民の約150人が聴講しました。

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