2014年7月 1日

情報277 枚方歴史ミュージアム「火怨の蝦夷・阿弖流為」

平成25年12月1日に枚方市市民会館大ホールで上演された。ひらかた(きむ)(たか)倶楽部の小中高生が演じるもので、2012年12月の初回公演に続く「火怨の蝦夷・阿弖流為」の第二回公演。今回も子供たちのいきいきとした演技に、会場は大きな感動に包まれた。

同倶楽部は、沖縄で始まった現代版組踊りの様式を手本に、枚方に伝わる歴史物語を舞台劇として作り上げることをとおし、アテルイら先人の気高い生き方を子供たちが学び、併せて地元に愛着や誇りを持つ子供を育てることを目的に活動をしている。「肝高」とは沖縄地方の古語で「心が豊か」「気高い志」という意味。

高橋克彦氏の『火怨 北の燿星アテルイ』を原作に、蝦夷の若きリーダー阿弖流為と仲間たちの「絆」を描いたもので、震災で大きな被害にあいながらも肝高の心で雄々しく立ち上がる東北の方たちの思いと、枚方との絆を重ね合わせたようとしたという。

劇中では河内音頭のルーツとも言われている伝統芸能の交野節「火怨の蝦夷、阿弖流為音頭」も歌われている。

なお、ひらかた肝高倶楽部は、子供たちのための舞台活動の継続を目的に平成26年度中に一般社団法人化を図るとしており、そのための出資者を募集している。

詳細は、連絡先 072-857-6000(FAX兼用) aaafz704★nike.eonet.ne.jp ★を@に変更してください。

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2014年7月 1日

情報276 奥州市の二校に「アテルイの里」と「阿弖流為の郷」の碑

平成25年12月25日、奥州市水沢東大通りの医師、室塚あや子さんがアテルイの里の石碑を同区神明町の市立常盤小学校(児童667人)に寄贈し、同校校庭の南側に設置された。花崗岩の碑(高さ約1.2m、幅約1m)には、横に「アテルイの里」と刻んだ御影石を中央に配している。

室塚さんは「アテルイは信念を貫き、純粋に勇敢に古里を守ろうとした。未來を担う子どもたちにも純粋に勇敢に生きてもらいたい。」と話し、寄贈を受けた常盤小学校の菅原孝司校長は「アテルイにゆかりのある当校に建てていただいたことに感謝したい。郷土学習などでアテルイを知ってもらう機会に役立てたい」と感謝している。

同校付近には、アテルイの拠点集落跡などが散らばる。10月に行われた同校の学習発表会では、アテルイの史跡まわりなどで学習した成果を「常小アテルイ」という劇で表現するなど、さまざまかたちでアテルイとの関わりを深めている。

平成26年5月12日には、室塚邦良・あや子さん夫妻が奥州市水沢佐倉河の東水沢中学校に阿弖流為の郷の石碑を寄贈し、校舎東側の庭に建立された。昨年12月の常盤小学校への石碑寄贈に続くもの。碑は一関市室根山の花崗岩を使用(高さ1.2m、幅1.4m)し、「阿弖流為の郷」と刻んだ御影石を中央に配している。

室塚さんは「愛する故郷で死にたかったというアテルイの無念を晴らす意味も込めて建立した。東水沢中学校周辺にはアテルイに結びつく遺跡があり、これからも多くの人に知ってもらうきっかけにしたい」と話している。

東水沢中学校の千葉正岐校長は「室塚さん夫婦の厚意により石碑が建立され、郷土の平和のために力を尽くした英雄を学ぶための身近な石碑となる。今年度の創立五十周年の節目に花を添えてくれた」と感謝している。

室塚さんは広島市出身だが、1986年に行政医師として岩手県庁に勤務した経験があり、その後は外務省の一等書記官兼医務官としてアフリカなどに赴き、東日本大震災の発生後の2011年11月に栃木県那須町から水沢に移り住んだ。現在は市内の医療法人に勤務しながら、ボランティアガイドもしている。ご夫妻とも当会の会員にもなっている。石碑はお世話になった岩手への感謝の気持ちとアテルイの人徳をたたえ、市教育委員会や歴史研究家らの協力を得て、跡呂井地区の小学校と中学校に建立した。

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2014年7月 1日

情報275 ミネルヴァ日本評伝選『阿弖流為』

古代蝦夷の雄・アテルイの初の評伝が2013年10月に刊行された。著者の樋口(とも)()氏(岩手大学教授)は東北古代史の研究を専門としており、アテルイに関係するこれまでの研究でも通説を覆す有力な新説を発表してきた。本書では更に新たな研究成果が加えられ、大墓公一族における新しいアテルイ像が描きだされている。以下、順をおって著者の叙述を要約して紹介する。

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