2013年1月22日

情報265 『アテルイ伝』岩手県ロケ

 10月2日にクランクイン、4日から岩手ロケが始まり釜石市、奥州市などの各地で12日までロケが続けられた。8日は奥州市江刺区の歴史公園えさし藤原の郷で、アテルイの住む村に官軍が攻め入り、アテルイらが応戦するシーンを撮影し、市民エキストラ約60人を含む約200人が参加し迫力あるシーンの収録を重ねた。主役のアテルイを演じる大沢たかおさんは取材に対して次のように話した。

-アテルイに対しどのようなイメージをもっているか。
「自然と会話ができる、自然の痛みが分かるような人間。それを意識しながら芝居をしている。」
-初のロケとなる岩手の印象は。
「どこに行っても緑や空気が澄んでいて気持ちがいい。自然とアテルイの世界、蝦夷の時代の東北の世界を演じることができる。」
-アテルイ伝には地元エキストラも参加している。
「皆楽しそうに現場にいてくれるので助かっている。皆がここの出身だということに自信を持ち、自然体で演技しているようだ。」
-岩手、奥州の方々にメッセージを。
「皆さんの期待に応えられるような、喜んでもらえるような作品にしなければならないと思っている。東北のみならず、日本全国にアテルイの存在の意味がちゃんと伝わればうれしい。」

 NHKエンタープライズの真鍋斎プロデューサーは、「東日本大震災発生後、直接的ではなくても何か復興に寄与できることはないかと考えていた時に、高橋克彦先生の作品でアテルイを知った」と制作のきっかけを語り、「今までテレビや映画では扱ったことのない時代を舞台としており、新鮮な世界になるのではないか。東北を舞台に、東北を生きた古代の英雄を描くことで、東北の方々に少しでも勇気や元気を持っていただければ」とアピールしている。〔胆江日日新聞記事より〕
 放送は来年1月11日からBSプミアムで全4回、3月に総合テレビで全2回の予定。

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2013年1月22日

情報264 『コミックいわて』にアテルイ

 岩手県知事責任編集の岩手県ゆかりの漫画家による岩手を題材とした描き下ろしコミック。1は昨年1月に、2は2012年3月に発行された。アテルイが出てくるのは、岩手県一関市在住の飛鳥あると作「キリコ、閉じます!~奥州阿弖流為異譚~」で、根暗少女で霊能力を秘める主人公のキリコが友人の祖先であるアテルイを黄泉から現世に呼び寄せ、ストーリーが進む。阿弖流為については、「平安時代「蝦夷」と呼ばれた東北地方日高見にて朝廷軍の侵略に屈することなく戦い続けた末敗れ、処刑された陸奥の英雄」と説明され、羽黒山の慰霊碑のことがでてきたりする。〔発行:岩手県 岩手日報社〕

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2013年1月22日

情報263 アテルイ鎮魂祭

 9月17日、奥州市水沢佐倉河の巣伏古戦場跡公園で周辺の清掃奉仕とともに鎮魂祭が行われた。1935年生まれの同級生で組織し昨秋解散した親睦団体「進友会」の元会員らで、「アテルイの顕彰活動をやめるわけにはいかない」と有志が声を掛け合い9人が参加した。1時間ほど碑周辺の植え込みを剪定したり落ち葉を集めたりした後、碑の前に祭壇を設け神事を執り行った。同会元会長の佐々木勲さんは「会員の思いを若い人たちに引き継ぐことができれば」と語り、元会員は「来年も再来年も元気なうちはみんなで参加したい」と変わらぬ意欲を見せている。巣伏の戦い跡碑は平成七年に同会によって建立された。

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2013年1月22日

情報262 第10回母禮慰霊祭

 9月18日、奥州市前沢区の有志で組織する母禮をたたえる会(菊地栄治会長)主催の10回目となる慰霊祭が同区生母の曹洞宗耕雲院で営まれた。同会会員ら約30人が参列、森住俊英住職の読経のなか、同会が作った位牌の前で順に焼香。前沢吟詠会の会員が詩吟「束稲山懐古」と「母禮賛歌」を奉納した。菊地会長は「耕雲院には母禮の位牌を安置する仏間も作っていただいた。これからもさまざまな人たちの協力を頂きながら、母禮の功績を後世に伝えていきたい」と話している。[岩手日日新聞記事より]
 同会は毎年、母禮の命日にあたる9月17日前後に慰霊祭を執り行っている。

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2013年1月22日

情報261 井沢元彦『伝説の日本史』第1巻

 第1巻は神代・奈良・平安時代で、~「怨霊信仰」が伝説を生んだ~の副題がついている。神代の卑弥呼に始まる23人で、坂上田村麻呂と阿弖流為が入っている。坂上田村麻呂の項では、「異民族である蝦夷の族長「アテルイ」という大英雄...」というように蝦夷=異民族とし、789年の巣伏の戦いを概説するが、征東将軍紀古佐美が「四千人の主力軍に衣川を渡らせ...」云々と、北上川とすべきところを「衣川」にしている。また田村麻呂が築いた胆沢城を「城郭都市としての城」「長安同様、人間が住む街を柵や城壁で囲んだ城塞都市」「都市そのものを城壁や柵で囲んだ城壁都市」だったとの考えを示している。いずれも誤りであろう。
 「怨霊信仰」に関わることでは、「田村麻呂が降伏してきたふたりをその場で殺さずに、京まで連行したのは命を救うためなのに、政府はふたりを殺してしまったことです。ふたりは非業の死を遂げたわけですから、本来はふたりの怨念、怨霊が祟るわけです。ところが朝廷はこのアテルイとモレの怨念や魂に対して、鎮魂をした形跡が何もないのです。...日本神話でアマテラスは、異民族と思われるオオクニヌシから「国譲り」を受け、オオクニヌシの鎮魂のために巨大な出雲大社を造りました。しかし、東北の異民族であるアテルイとモレたちを鎮魂したという形跡は全くありません。ここからわかることは、これは嫌な言い方ですが、大和民族にとって祟るのは人間であって、アテルイとモレたちを人間ではなく、動物のように見ていたのではないかということがいえるわけです。」とし、『逆説の日本史』での見解と同様のことを述べている。そして、「もっとも現在では、そういうことはあまりに酷いのではないかということで、...京都の清水寺に阿弖流為・母礼の顕彰碑が建てられています」と紹介。
 阿弖流為の項では、アテルイ、蝦夷を「彼らは間違いなく異民族だった」と強調するぐらいで、伝説に関することにはひとつも触れないてしまっている。がっかり。〔光文社、2012年11月発行〕

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2013年1月22日

情報260 京都清水寺「阿弖流為・母禮の碑」法要

 11月10日、京都清水寺境内で「阿弖流為・母禮之碑」法要が営まれた。1994年(平成6年)の建碑以来、19回目となる。主催者の関西アテルイ・モレの会(松坂定徳会長)会員をはじめ、奥州市からは及川洵会長ら当会の関係者や市民訪問団、小沢昌記市長など百余人が参列した。法要の前に京都在住の笛師森美和子さんが、東日本大震災の犠牲者の鎮魂と東北復興の願いを込めて篠笛を奉納。続いて清水寺の森貫主ら僧侶の読経に合わせ参列者全員が次々と焼香した。終了後、洗心洞で行われた懇親会で森貫主は「アテルイ・モレの碑は世界遺産清水寺の真ん中にある。みなさまの力で二十年近くたとうとしている。これからも盛り上げていきたい」と挨拶しました。

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2013年1月22日

情報259 堀江朋子『日高見望景』

 在京の著者は日本藝術家協会会員で「文芸復興」代表だが、岩手県北上市口内町ふるさと大使にもなっていて、岩手県との縁を深めるなかで、古代蝦夷の歴史に関心を寄せ、エミシの無念に心を添わせるようになる。本書の副題は「遥かなるエミシの里の記憶」である。序章の「被災地へ」から終章の「再び被災地へ」で締めくくるが、第一章は「石巻市と多賀城市~古代王権の東北侵攻~」、第二章は「水沢市・枚方市・人首(米里)~三十八年戦争とその終焉~」、第三章は「盛岡市・矢巾町・北上市~東北統治の衰退~」というように、古代東北(宮城、岩手)の歴史を追って、それぞれの地域を訪問、念入りに取材して詳細に叙述している。エミシに関わる歴史が著者の蝦夷への共鳴とともに伝わってくる内容である。
 アテルイについては第二章で中心的に取り上げている。「胆沢の戦いと阿弖流為・母禮-水沢」、「阿弖流為・母禮終焉の地-大阪府枚方市」、「伝説の人 阿弖流為・坂上田村麻呂」の展開。ここでは当会発行の『阿弖流為復権』(2004年)が主要参考文献として数カ所に引用されている。アテルイとモレが処刑された地と考えられる枚方市には平成24年2月に訪れた後、牧野公園の塚について東京から枚方市史編纂室(和田氏)に電話で問い合わせている。「老婦人が枚方市を訪れて夢の話をしたというのは、本当ですか」、と私は質問した。「ええ、それは、事実です」、「その内容も?」、「大体は、そのようですが、伝えられていくうちに、尾ひれが付いたりもしたのでしょう。それに、老婦人が拝んだ石は、昭和二十年代に、ここに運ばれてきたもので、昔からあったわけではないのですよ」、「その老婦人はご存命で?」、「いや、亡くなられています。三十年も前のことですから」。誠実そうな年配の男性の声音に、戸惑いの気配が感じられた。「アテルイ・モレの塚と確定はできないのですね、埋め墓ではなくて、参り墓ですね」、私は云った。「そうです、ここを、二人の塚と確定する資料が見つからないかぎり、市として碑を建てることはできないのです」、と少し和んだ声が返ってきた。
 そして堀江さんは、「おばあさんの夢、いいなあ。しみじみと思った。塚の特定はできなくてもいいじゃないか。参り墓で充分である。阿弖流為・母禮は、きっと成仏できただろう。」と云う。本当にそのとおりである。「埋め墓」と「参り墓」、学問的な定義云々抜きの字句通り、牧野公園内の塚はアテルイとモレの「参り墓」として、これからも堂々とあり続けてよい。おばあさんの夢、アテルイへの思いから始まって大事にされてきた塚であり、アテルイとモレが処刑された枚方にあって唯一「参り墓」としての年月を積んできた塚であるのだから。 〔図書新聞、2012年5月発行〕

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2013年1月22日

情報258 第8回アテルイ歴史の里まつり

 奥州市水沢の第8回アテルイ歴史の里まつり(跡呂井町内会主催)は9月9日(日曜日)、同区神明町の神明社境内などで行われた。3年毎の開催だが、昨年は東日本大震災があり自粛し今年の開催となった。
 祭りは午後1時から「アテルイ王千二百年祭記念碑」の前で始まり、主催者を代表して阿部勝アテルイ歴史の里振興会長が挨拶、安全祈願、拝礼などの後、アテルイ巣伏の戦い大勝利凱旋武者行列が勝ち鬨と煙火打ち上げを合図に出発。アテルイに扮した奥州市の佐藤孝守教育長、モレ役の住民代表が馬にまたがり、その後に約五十人の吹流し・弓隊・槍隊が続いて約三キロの区間を二時間にわたって練り歩いた。境内では町内会婦人によるアテルイ音頭の奉納、そのあと他二か所で披露。子供神輿も運行され町内を一周した。
 武者行列の趣旨は次のとおり。「わが「跡呂井」の地名は、八世期後半にこの地を治めた族長「アテルイ」から由来すると言われ、住む者の心に"アテルイのふるさと意識の絆と共通の誇り"を培ってきました。アテルイは、朝廷軍と十年にわたる郷土の守戦を果たし、時の征夷大将軍坂上田村麻呂に副将モレと共に降伏、上京。田村麻呂の助命嘆願も叶わず斬刑となり、今は大阪府枚方市に眠ると言われます。平成6年、田村麻呂ゆかりの京都清水寺にアテルイ・モレ顕彰碑が建立され、讃えられています。アテルイ巣伏の戦い大勝利凱旋武者行列は、延暦八年(789年)に紀古佐美征夷大将軍が率いる5万余の大軍を巣伏(現在の四丑付近)の戦いで、わずか一千余の兵でうち破った故事を再現したものです。このことを子孫に伝承することにより、ふるさと連帯意識を深め、更なる地域の振興を図るものです。」

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2013年1月22日

情報257 第8回阿弖流為・母禮の慰霊祭

 9月8日(土曜日)奥州市水沢羽田町の羽黒山出羽神社境内の阿弖流為・母禮慰霊碑前において行われた。阿弖流為・母禮を慰霊する会が主催し、当会も参加した。主催者を代表して小野寺一雄会長が「古代の英雄たちの偉大さを次世代に語り継ぐためにこの地に慰霊碑を建立した。ここが皆さんに親しまれる場になることを目指し顕彰活動を続けていきたい」と挨拶。来賓の小沢昌記奥州市長は「時空を超えて伝えなければならないこと、次の世代に引き継がなければならない大切な思いがあると、この碑を前にすると思ってしまう。これからも二人が示したものを引き継いでいく会であってほしい」と呼び掛けた。清水寺の森清範貫主も参列し祝辞を寄せた。

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2013年1月22日

情報256 NHK大型時代劇 『火怨(かえん)・北の英雄 アテルイ伝』

 NHKは9月2日、古代東北の英雄アテルイの生涯を描く『火怨・北の英雄アテルイ伝』の制作を発表した。「東北を平定しようと北へ攻め上る朝廷軍の襲撃に、命を捨てて一族の未来を救った古代東北の英雄・阿弖流為(アテルイ)の生涯を、空前のスケールで描く歴史冒険巨編」で、かつて不屈の魂をもって東北を守った陸奥の英雄を描くことで、生きている「東北の人たちへの応援歌」を目指すという。【原作】は高橋克彦氏の『火怨・北の耀星アテルイ』。【脚本】西岡琢也。【音楽】川井憲次。10月に岩手県でクランクインし、来年1月にBSプレミアムでBS時代劇として全4回(各43分)の放送、3月に総合テレビで大型時代劇として全2回に編集して放送する予定。
 主演のアテルイ役には大沢たかお(44歳)が抜擢された。大沢さんは、数多くの映画やドラマに出演する実力派俳優で、2009年11月から22話にわたって放送されたTBS日曜劇場『JIN―仁―』で主役を演じ、高視聴率とともに高い評価を得た。大沢さんをとりまく主な出演者は、アテルイの妻(佳那)に内田有紀、父(阿久斗)に神山繁、母(海浦)に江波杏子、兄(阿真比古)に石黒賢、妹(阿佐斗)に高梨臨。アテルイと共に戦う参謀役の母礼に北村一輝、呰麻呂に大杉漣、女戦士(古天奈)に伊藤歩、志波の族長(波奴志己)に西宮徳馬。他に豪族(大伴須受)に原田美枝子、坂上田村麻呂に高嶋政宏、桓武天皇に近藤正臣、という豪華な顔ぶれとなった。
 【ストーリー】奈良に大仏が作られ、都が今の京都に遷されようとしていた頃、東北には朝廷から" 蝦夷"と呼ばれた民が暮らしていた。蝦夷は独自の文化を持ち自然とともに平和に暮らしていたが、その威光を広くあまねく行き届かせようとする朝廷によって、彼らの平和が脅かされようとしていた。故郷の地を、そして民たちを守るために立ち上がった一人の若者がいた。胆沢(現在の岩手県奥州市) に住むアテルイである。アテルイは仲間のモレとともに、圧倒的な兵力を誇る朝廷軍に果敢に挑んでゆく。幾度かにわたる戦いの中で、土地は荒れ、仲間の多くを失ったアテルイは、次第に争いそのものに疑問を抱き始める。人間としての葛藤を抱き、悲しみを背負いつつ、なおも戦いへと向かうアテルイ。そして、最後の戦い。朝廷軍最高の司令官である宿敵・坂上田村麻呂との決戦の幕が切って落とされる。

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2013年1月22日

情報255 ねぶた大賞2012『阿弖流為と清衡』知事賞に『阿弖流為』

 今年の青森ねぶた祭の最高賞である<ねぶた大賞>に、サンロード青森の『奥州平泉の栄華 阿弖流為と清衡』(作:千葉作龍)が選ばれた。大賞作品は、阿弖流為と藤原清衡がにらみ合う姿を通して東日本大震災の鎮魂と復興への励ましを表現したものという。アテルイを作品とした大型ねぶたは、大賞を受賞した同じサンロード青森が2004年に『北の炎 阿弖流為』(作:千葉作龍)として初めて取り上げて出陣したことがあったが、その時は受賞に到らなかった。また、第二位に相当する知事賞にはJR東日本ねぶた実行プロジェクトの『東北の雄 阿弖流為』が選ばれ、制作した竹浪比呂央さんが最優秀制作者賞も受賞した。今年の青森ねぶた祭りには22台の大型ねぶたが出陣したが、最高賞と第二位にアテルイを取り上げた作品が入ったことは実に喜ばしく、まさに快挙。
 青森ねぶた祭の最高賞は1962年から<田村麿賞>としてきたが、坂上田村麻呂は東北地方から見れば征服者であり、また、坂上田村麻呂が青森まで来たという史実もないことなどから、1995年(平成17年)に<ねぶた大賞>に名称を変更したという経緯がある。

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2013年1月22日

情報254 岡本雅享「アテルイ復権の軌跡とエミシ意識の覚醒」

 福岡県立大学の岡本雅享准教授が、大阪経済法科大学アジア太平洋研究センター『アジア太平洋レビュー』第8号(2011年11月発行)に、「アテルイ復権の軌跡」を詳細に紹介しつつ、それを主導した人々の思いを探り、その意味したものを明らかにしようとした論文を発表している。以下の目次から、その内容もある程度推察できよう。

1.エミシをめぐる自意識と他者認識
 (1)民族国家の形成とエミシ
 (2)矛盾する自己認識
 (3)中近世から近代日本における他者による奥羽・東北観
2.アテルイの戦いと悪路王の伝説
 (1)ヤマトの侵略とエミシの抵抗
 (2)東北の鬼と悪路王の伝説
 3.東北「熊襲」発言事件にみる現代日本のエミシ観
 (1)大阪商工会議所会頭がもらした畿内人の東北観
 (2)東北人の怒り
 (3)再生産される東北人蔑視観
4.エミシの末裔という自意識
5.アテルイ復権を導いた人々とその思い
 (1)一力一夫河北新報社長
 (2)「延暦八年の会」と「アテルイを顕彰する会」
 (3)関西アテルイ顕彰会
 (4)映画「アテルイ」と鳥居明夫・シネマ東北社長
 (5)アテルイ復権をめぐるその他の動き
6.東北の風土が育むエミシ民族

 このなかでは、当会の初代会長である故藤波隆夫氏の話をはじめ、「アテルイ復権は運動によらなければならない」という2002年の当会の声明、さらにそれは「中央から押しつけられた一方的な歴史観をはねのける運動」であるという及川洵現会長の言葉なども紹介されている。そして、「エミシの復権を全国にアピールする原動力となった民間団体が、胆江地域の「延暦八年の会」や「アテルイを顕彰する会」である。」との評価を受けている。筆者は最後に、「勝者の描く歴史によって、アテルイは歴史の中に埋もれ、命を賭して自分達の国を侵略者から守ったエミシのリーダーたちは、田村麻呂の英雄伝説が流布される中、逆賊、悪者として、民間伝承の中では鬼にまで貶められて、語られていった。東北人は、勝者の描く歴史を史実と思い、故郷を守った祖先の英雄を、悪者、鬼として語り継いできたのである。だからこそ、東北が中央への従属を断ち切り、誇りをとり戻すためには、「日本」の歴史の中で賊と蔑まれたアテルイを、祖先の英雄として評価しなおす作業が必要だったのである。アテルイ顕彰・復権運動には、東北人の中に醸成されてきた負のイメージを払拭する願いが込められていたともいえる。」とまとめている。

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2013年1月22日

情報253 及川洵『阿弖流為と田村麻呂伝説』

 当会会長でもある及川洵氏が、一昨年に小説『阿弖流為』を出版したのに続き、今回は伝説をまとめた。第一章 蝦夷とはなにか、第二章 蝦夷と国家の対立、第三章 各地に残る伝説、第四章 奥浄瑠璃『田村三代記』を読む、第五章 田村麻呂と討たれた者たち、からなる。著者は「あとがき」で、田村麻呂の伝説は多く取捨選択に苦労するほどであったが、阿弖流為と母禮には伝説がほとんどなく、蒐集できなかったので、考古学の情報や周辺の事情から二人に迫ろうとした。と述べている。第一章の五に、阿弖流為は何を食べたか。第二章の二に、阿弖流為・母禮の降伏と処刑。四に、伝アテルイ砦の調査。第三章の二に、阿弖流為・母禮の伝説。の項目がある。最後に、「田村麻呂はその薨伝や伝説、多数の関連寺社から確かに偉大な人物であったといえる。その田村麻呂と二度にわたり戈を交えた阿弖流為と母禮をどう評価すべきなのだろうか。朝廷の野望を挫こうとした蝦夷の英雄と考えるべきか、それとも胆沢の人々に対し戦いの苦痛を与えた無謀な領袖と見るべきなのか、判断は読者に委ねたい。」と結んでいる。〔胆江日日新聞社、2011年5月発行、1,600円〕

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2013年1月22日

情報252 千尼田 『蝦夷水沫 阿弖流為の叫び』 上下巻

 著者のペンネームの千尼田はアイヌ語で「夢」を意味する言葉。著者は1961年生まれで、高校時代にアテルイを知り、大学時代に本稿の執筆に着手し書名も筆名も決めたが中途で断念、平成20年に再着手し平成22年にようやく完成して出版に至った。上巻の帯に「蝦夷の盟主(大将)の阿弖流為は坂上田村麻呂の大軍を胆沢で迎え撃つ!蝦夷は山の掟を守り、狩猟の暮らしをしていた。そこに和人が大軍で押し寄せる。阿弖流為は故郷、胆沢を和人から守るべく立ち上がる。」と書かれている。蝦夷は狩猟の民で、大将はアイヌ語でシカリであり、和人との対決という小説の基本構図である。そして胆沢の合戦においては、延暦8年の最初の戦いは蝦夷側の大勝利、続く延暦十三年の戦いは史実を変え、和人の遠征軍が胆沢に踏み込まずに終ったとし、三回目の延暦二十一年の戦いを最終決戦として小説の中心に据えて描いている。上下巻の半分以上がその戦いの布陣、展開、戦闘シーンなどで占められていて、なかなかの迫力がある。最後に、阿弖流為が田村麻呂と和議交渉し上京を申し出、入京後には投獄され斬刑となるのだが、この経過は著者が最も考え抜いたという部分でもあり、説得力もある。達谷窟の悪路王伝説(姫待瀧伝説)に関連して鬘石や和人の姫をストーリーに登場させることも忘れていない。〔文芸社、2010年11月発行、上下巻3,150円〕

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2013年1月22日

情報251 木内宏『毘沙門叩き』

 本の帯に、蝦夷の末裔が伝える田村麿の裏切りと闇の王国の秘祭とは?奥羽山地を舞台に、中央と辺境、日米関係の今を照射する新アテルイ伝説。とある。岩手県内の寺から毘沙門天立像が何者かに持ち去られ、一夜明ければ無事に戻るという奇妙な出来事が相次ぐ。~毘沙門天は、「先住民攻略の尖兵」として将兵らから軍神と奉られ、蝦夷から見れば「血ぬられた侵略者ヤマトの象徴」で、田村麻呂はその化身と崇められた。さらに著者は「全ての邪悪な存在の象徴」とまで言う~。そして、その日はいずれも旧暦の八月十三日で阿弖流為の命日にあたっていた。阿弖流為を祖とする蝦夷の末裔の集落が、過疎化が進み3家族9人となって奥羽山地最深部の山襞に隠れてあった。そこでは、「阿弖流為はヤマトに謀殺された。罠にはめた謀略の主役は田村麻呂だ」と代々言い伝えてきた。毘沙門天の持ち去りは「ヤマトに謀られた遠祖阿弖流為の真実を世に問いたい」ということであった。その集落の秘儀は、「忘れはせぬぞ怨み千年」を唱え、首で截ち切られた毘沙門天の頭に木槌をそっと打ちおろす「お叩き」と呼ぶ儀式であった。復讐を諦め、千二百年もの間叩き続け、「お叩き」で阿弖流為の受けた辱めを伝えてきたのである。著者は元朝日新聞社記者。〔朝日クリエ、2010年10月発行、1,890円〕

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