2012年12月 1日

設立

設立 平成3年(1991年)4月27日

延暦八年(789年)、アテルイ率いるエミシ軍が現在の岩手県胆沢地方に侵攻した数万の朝廷軍と対決し、巣伏の戦いで大敗させた。この胆沢の合戦から1200年にあたる平成元年(1989年)は、アテルイ復権と顕彰活動の画期をなす記念すべき年になった。

水沢市(現奥州市水沢)の跡呂井町内会は「アテルイ王千二百年祭」として記念碑建立と巣伏の戦い大勝利凱旋武者行列を実施、市民グループの延暦八年の会は巣伏の戦い大勝利1200年を記念する「アテルイとエミシ展」を開催。また県水沢地方振興局は胆江地方を「アテルイの里」と名付け、シンポジウム「いま、蘇えるアテルイ」を主催するなど、アテルイを顕彰しようとする機運は一挙に大きな流れになったのである。

一方、関西胆江同郷会は同じ頃にアテルイとモレが処刑された関西に供養碑を建立すべく運動をすすめていたが、坂上田村麻呂創建と伝えられる京都の清水寺が境内への碑建立を快諾、アテルイ顕彰の一大事業としてアテルイの地元での運動も要請されるに至った。

このような状況のなかで、アテルイ碑建立事業の推進と幅広いアテルイ顕彰活動の持続的な展開を担う組織の必要性から、広く有志が結集し、平成3年(1991年)4月27日に<アテルイを顕彰する会>が設立された。

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2012年12月 1日

役員

1991年4月設立時の役員

役職名氏  名所属団体等
会  長藤波隆夫水沢の歴史と文化を考える会会長。黒石寺。
副会長佐藤秀昭延暦八年の会会長。岩手出版社主。
副会長佐々木盛水沢市跡呂井町内会会長。
副会長高橋敏男関西胆江同郷会会長(関西アテルイ顕彰会会長)
顧  問池田雅美富士大学名誉教授。アテルイの里構想研究会会長。
顧  問菊池芳雄水沢商工会議所副会頭。北方の王者アテルイの会副会長。
顧  問千葉政士衣川青史会会長。胆沢郡衣川村前教育長。
顧  問高橋利明胆沢郡衣川村文化財調査委員長。衣川青史会事務局長。
顧  問千田一彦胆沢郡前沢町芸術文化協会会長
顧  問阿部久三北方の王者アテルイの会会長。水沢市文化財調査委員。
幹  事佐藤博幸水沢市教育委員会。延暦八年の会。
幹  事千葉周秋胆沢郡金ヶ崎町教育委員会。くらしと文化を記録する会代表。延暦八年の会。
幹  事小原正治胆沢史談会会長
幹  事高橋延明胆沢郡衣川村教育委員会
幹  事伊藤郁雄えみしの会(江刺市)
幹  事伊藤正次胆沢郡前沢町教育委員会
幹  事安倍満穂関西胆江同郷会副会長(関西アテルイ顕彰会副会長)
監  事新田清二水沢商工会議所会頭。水沢信用金庫理事長。
監  事大衡貞子北方の王者アテルイの会副会長
事務局小河原淳延暦八年の会副会長
事務局安彦公一延暦八年の会
事務局朝倉 授延暦八年の会

2023年8月選任の現役員

役職名氏  名所属団体等
会  長安彦公一胆江日日新聞社取締役・主筆、延暦八年の会
副会長和賀亮太郎関西アテルイ・モレの会会長
副会長千葉周秋地域文化学研究所主宰
副会長後藤博志NPO法人奥州おもしろ学副理事長
顧  問新野直吉秋田大学名誉教授。秋田県立博物館名誉館長
幹  事斉藤哲郎日本微生物研究所代表取締役社長
幹  事伊藤郁雄えみしの会(奥州市江刺区)
幹  事梅田光生水沢招魂社奉賛会会長
幹  事渡邊晃三後藤新平顕彰会常任理事
幹  事佐藤義昭元岩手県・県南広域振興局副局長
幹  事高橋十一元奥州市観光物産協会副会長。水沢タクシー代表取締役
幹  事佐藤晃信佐藤晃信税理士事務所所長
幹  事佐藤博幸佐藤歯科医院院長
監  事関口善之介NPO法人奥州おもしろ学常務理事
監  事渡辺 晃元胆江日日新聞編集委員
監  事菅原睦夫元奥州市水沢佐倉河地区センター長
事務局長朝倉 授延暦八年の会事務局長

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2012年12月 1日

主な活動

平成 3年(1991)4月
アテルイ顕彰碑(仮称)清水寺建立の募金活動開始
平成 3年(1991)5月
会報『アテルイ通信』発刊
平成 3年(1991)9月
フォーラム「虚像から実像へ、アテルイ」(豊田有恒、今泉隆雄、工藤雅樹)開催
平成 4年(1992)7月
第1回アテルイシンポジウム(作家光瀬龍、他)開催
平成 6年(1994)3月
第2回アテルイシンポジウム(三好京三、米地文夫、斎藤利男)開催
平成 6年(1994)5月
アテルイ顕彰碑(仮称)建立募金終了(受託寄付金合計3,565,786円)
平成 6年(1994)9月
愚安亭遊佐・ひとり芝居「アテルイ」岩手県公演を延暦八年の会と共催
平成 6年(1994)11月
京都清水寺に<北天の雄 阿弖流為 母禮之碑>建立
平成 7年(1995)2月
延暦八年の会主催講演会「阿弖流為と田村麻呂」(新野直吉秋田大学長)を後援
平成 7年(1995)8月
江刺市においてアテルイ・モレ等エミシの慰霊祭を実行委員会で開催
平成 8年(1996)3月
第3回アテルイシンポジウム(工藤雅樹、大矢邦宜)開催
平成 8年(1996)8月
エミシの慰霊祭~ほくとう銀河・多賀城の集い~に共催団体として参加
平成10年(1998)3月
京都・清水寺アテルイ・モレ法要と記念植樹の旅を共催
平成10年(1998)5月
「胆沢の合戦」大パネル画の新調移設記念にシダレザクラを寄贈
平成10年(1998)10月
歴史探訪ツアー(宮城県北部方面、伊治城跡ほか)の開催
平成11年(1999)12月
延暦八年の会主催シンポジウム「アテルイと悪路王伝説」(新野直吉、三好京三他)を後援
平成12年(2000)7月
公開研修会・講演「アテルイ降伏後の胆沢地方について」(樋口知志岩手大教授)開催
平成13年(2001)4月
アテルイ没後1200年記念事業実行委員会(会長水沢市長)に幹事として参加
平成13年(2001)6月
アニメ映画「アテルイ」製作支援水沢地区推進委員会に幹事として参加
平成13年(2001)6月
工藤雅樹福島大学教授による羽黒山(水沢市羽田町)現地踏査と講演会を開催
平成13年(2001)9月
アテルイ関連遺跡羽黒山市民発掘を実施(参加335人、5日間延べ549人参加)
平成14年(2002)9月
アテルイ没後1200年記念企画展「甦れ、アテルイ」開催
平成14年(2002)9月
延暦八年の会主催シンポジウム「アテルイとエミシの時代」(今泉隆雄、熊谷公男他)を後援
平成15年(2003)9月
「アテルイの日」制定。記念講演会「アテルイについての逆説」(井沢元彦)、
車座トーク「おおいにアテルイを語る」(一力一夫、高橋富雄)開催
平成16年(2004)3月
『阿弖流為復権~アテルイ没後1200年顕彰事業関係報告集~』発行
平成16年(2004)9月
「アテルイの日」記念講演(高橋克彦)、DVD「アテルイ」鑑賞会の開催
平成17年(2005)9月
水沢市羽田町の羽黒山への‹阿弖流為母禮慰霊碑›建立を推進
平成18年(2006)12月
会報『アテルイ通信』第50号発行
平成19年(2007)9月
奥州市羽黒堂古舘遺跡発掘調査を阿弖流為母禮を慰霊する会と共催で実施
平成23年(2011)9月
講演会「坂上田村麻呂と阿弖流為」(熊谷公男東北学院大学教授)開催
平成24年(2012)12月
ホームページ開設
平成25年(2013)9月
「アテルイの日」のイベント開催
平成26年(2014)9月
第10回 阿弖流為・母禮の慰霊祭を共催
平成26年(2014)9月
講演会「延暦8年の合戦を読み解く」(伊藤博幸岩手大学特任教授)開催
平成26年(2014)11月
京都清水寺 阿弖流為・母禮之碑建立20周年記念法要に特別参加
平成30年(2018)3月
会報「アテルイ通信」第70号発行
令和01年(2019)9月
第15回阿弖流為・母禮の慰霊祭〔事業終了〕

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2012年12月 1日

関係図書

刊行物

1
『アテルイ通信』第1号(1991.5)~第73号(2022.7)
2
『アテルイ没後千二百年記念特別企画展「甦れアテルイ」』(2002.9)
3
『阿弖流為復権 ~アテルイ没後1200年顕彰事業関係報告集~』(2004.3)
4
『岩手県奥州市羽黒堂古館遺跡(「伝アテルイ砦」調査)』(2007.12)

会員著作等

及川 洵元会長(故人)『蝦夷アテルイ』(文芸社2013.6)(修訂・新装版2015.6)
『アテルイ研究入門』(2002.12)
『阿弖流為』(2009.2 文芸社 小説)
『阿弖流為と田村麻呂伝説』(2011.5 胆江日日新聞社)
伊藤博幸前会長(故人)共著『岩手県の歴史』(1999.3山川出版社)「アテルイの世界」
安彦公一会 長『日高見抄』上下(2002.1胆江日日新聞社)
佐藤秀昭元副会長『アテルイ』(2002.8 岩手日報社)
高橋敏男元副会長(故人)『-大和政権と蝦夷の-確執』(1996.12 胆江日日新聞社)
千葉周秋副会長『エミシ・タムラマロ伝説』(1989.11)(増補版2002.9)
一力一夫元顧問(故人)『「3/4世紀」回顧』(2000.11)「アテルイ讃歌」
新野直吉顧 問『古代東北の開拓』(1969.11 塙書房)
『古代東北史の基本的研究』(1986.7 角川書店)
『田村麻呂と阿弖流為』(1994.8 吉川弘文館)他多数
三好京三元会員(故人)『北天の雄 母禮物語』(2002.6)
遠藤昭一元会員(故人)『私観アテルイ像を求めて』(1994.8)
安久澤連元会員(故人)『朔風すさぶ彼方』(1988.12)
『北風の譜 陸奥蝦夷争乱悲話』(2008.5 鳥影社)
吉川団十郎会員CD 『みちのく古代史~北の大地の鬼の唄~』(1996.3)
千尼田会員『蝦夷水沫阿弖流為の叫び』上下巻(2010 11文芸社)
小林忠明会員『アテルイを育てた女たち』(2014.6 龍書房)
おおぎやなぎちか会員『アテルイ 坂上田村麻呂と交えたエミシの勇士』(2021.1.30 くもん出版)

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2012年12月 1日

主な掲載論考等

新野直吉秋田大学名誉教授「延暦八年紀、二十一年紀の阿弖流為」(29号)
工藤雅樹
(故人)
福島大学名誉教授「アテルイ以前の胆沢地方」(17号)
「古代蝦夷の社会」(58号)
今泉隆雄
(故人)
東北大学名誉教授「律令国家とエミシ~律令国家側からみたアテルイ~」(65号)
樋口知志岩手大学教授「アテルイ降伏後の胆沢地方について」(32号)
「延暦八年胆沢の合戦の再検討」(40号)
熊谷公男東北学院大学名誉教授「坂上田村麻呂と阿弖流為」(62号)
神 英雄龍谷大学短期大学元講師「阿弖流為・母礼の斬殺地について(抄録)」(4号)
井沢元彦作家「アテルイについての逆説」(43号)
一力一夫
(故人)
高橋富雄
(故人)
河北新報社社主
東北大学名誉教授
「~ 「アテルイの日」制定記念車座トーク ~
おおいにアテルイを語る」(44号)
小林晋一
(故人)
元水沢市史専任編纂委員「アテルイ雑感」(1号)
佐久間 賢元奥州市埋蔵文化財調査センター所長「アテルイ探訪」(69号)
及川 洵元会長(故人)「アテルイの謎をめぐって」(5号)
「アテルイは朝廷から良字を与えられている」(9号)
「アテルイとエミシ研究をめぐる諸問題」(19号)
「アテルイの処刑」(48号)
伊藤博幸
(故人)
前会長
元岩手大学特任教授
「アテルイの降伏について」(8号)
「シリーズ阿弖流為」(25号)
「考古学から古代蝦夷社会を考える」(49~52号)
「延暦8年の合戦を読み解く」(66号)
「奥州市杉の堂遺跡と製塩土器」(72号)
及川けい会員「大墓公」の読みについて」(73号)
朝倉授
(梅草一郎)
会員・事務局長「マンガに描かれたアテルイの顔」(14号)
「『東日流外三郡誌』世界のアテルイ」(22号)
「アテルイ関連古跡・羽黒山について」(35号)
「アテルイ最期の地について」(36.37号)
「新しい中学の歴史教科書とアテルイ」(37号)
「アテルイの降伏から斬殺まで」(38号)
「甦るアテルイ、復権の歩み」(41号)
「「阿弖流為」、そして「大墓公阿弖利為」」(42.46号)
「「大墓家」銘墨書土器と「大墓公」」(60号)
「平成26年度検定済「歴史」教科書に記述されたアテルイ」(第67号)
「アテルイの処刑地について~「牡山(男山)」説への疑問~」(第68号)

バックナンバー目次第1号(1991.5)~第73号(2022.7)

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2012年12月 1日

申し込み

アテルイに関心がある人で、会則を承認し会費(年2,000円)を納入いただければ、どなたも入会できます。
会員には会報『アテルイ通信』(不定期)が送られるほか、会が行う事業等に参加することができます。
会費の払込は、

ゆうちょ銀行振替口座

口座記号番号02270-9-143215
口座名称アテルイを顕彰する会

会則

名称

第1条

本会の名称は、「アテルイを顕彰する会」とする。

目的

第2条

この会は、アテルイ、モレなどを顕彰し、この地に生きた者の誇りと融和の輪を広めることを目的とする。

事業

第3条

本会は前条の目的を達成するために、次の事業を行なう。
(1)アテルイ顕彰のための研鑽を深める。
(2)アテルイ顕彰に係る諸事業。
(3)その他、目的達成のための必要事項。

組織

第4条
1.
本会は第2条(目的)の趣旨に賛同するものをもって組織する。
2.
本会には会長1名、副会長3名以内、幹事10名以内、監事3名以内、事務局長1名を役員として置き、総会において選任する。
3.
役員の任期は2年とし、その再任を妨げない。
4.
本会は必要に応じ、会長が委嘱する顧問を置くことができる。

運営

第5条
1.
本会は、会員をもって年1回、総会を開催する。
2.
本会は会長が統括し、会議の議長となる。但し、会長の事故ある時は、副会長がこれにあたる。
3.
役員会は、事業の運営・執行にあたる。
4.
会議は、出席者の過半数をもって決する。

付議事項

第6条

総会に付議する事項は次の通りとする。
(1)運営の基本方針に関すること。
(2)予算及び決算に関すること。
(3)役員の選任に関すること。
(4)会則の改廃に関すること。
(5)その他、この会の運営における重要事項に関すること。

経費及び会計

第7条
1.
本会の運営に必要な費用は、会費、寄付金、補助金、その他の収入をもってあてる。
2.
会計年度は、毎年4月1日に始まり翌年3月31日に終わる。
3.
会費は、年間2,000円とする。

住所

第8条
本会の住所は岩手県奥州市水沢新小路21番地1 ヒグチビル1階 安彦事務所内とする。

平成 3年 4月27日制定
平成13年 6月 9日改定(第4条2、他)
平成26年 7月26日改定(第8条)
令和 5年 8月26日改定(第8条)


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2012年12月 1日

延暦八年朝廷軍の衣川軍営

衣川の丘陵衣川の丘陵

延暦八年(789)3月28日、多賀城を出発し胆沢に侵攻した朝廷軍は「河を渡り」「三処」に軍営を置いたことが『続日本紀』に記されている。
この「河」とは北上川支流の衣川であり、朝廷軍は川を渡ったこの丘陵一帯に約三万の兵士を駐留させ、一万二千四百余の輜重兵が玉造塞までの間を食糧運搬で往復していた。
この丘陵から北を望めば広大な胆沢扇状地が見渡すことができる。

衣川の営跡の標柱衣川の営跡の標柱

奥州市衣川区陣場のサンホテル衣川荘の小庭園に立っている。
標柱の正面に「衣川の営跡」、右横面に「伝 紀古佐美がアテルイを攻撃した東の基地」と刻まれている。
標柱の近くに立つ「陣場」の説明板には「延暦八年(七八九)紀古佐美の征夷にあたり衣川に三ケ所 の営が設けられたがその内の東端の営跡と伝えられる。...」とある。

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2012年12月 1日

延暦八年巣伏の戦い跡

巣伏村=四丑橋

延暦八年の胆沢の合戦は、北上川の東側を北上する四千の朝廷軍と三百人ばかりの蝦夷兵の小規模な 戦闘に始まり、後退する蝦夷軍を追撃する朝廷軍が巣伏村に至り、迎え撃った蝦夷軍との 大激戦となる。いわゆる巣伏の戦いである。
この「巣伏」(すふし)の地名は、現在に「四丑」(しうし)地名として残っている。

巣伏古戦場碑巣伏古戦場碑

平成5年(1993)6月に、江刺市内(現奥州市江刺区)の市議会議員荻田耕三氏他3人でつくる「青駒ダイナミックス」により北上川に架かる四丑橋の東側(江刺市愛宕金谷)に建立された。
石碑の高さ2.4m、奥行27㎝、幅36㎝。表面に「大墓公阿弖流為等 巣伏古戦場」と刻まれ、裏面には 「続日本紀抄」として巣伏の戦いに関する部分の記述が刻まれている。
建立の日を戦いのあった日にあわせ6月3日としている。

巣伏の戦いの跡碑巣伏の戦いの跡碑

水沢市の昭和10年(1935)生まれの同級生組織・進友会(佐々木勲会長、会員300人)が、 平成7年(1995)に還暦を迎えることを記念し、水沢市佐倉河北田の物見やぐらが立つ公園 (巣伏古戦場跡公園)内に「巣伏の戦いの跡」と刻んだ石碑を建立、周辺環境も整備した。
同公園内には、東に北上川を望む物見やぐらの階段下に「蝦夷の群像」碑も設置されている。

東山=羽田町羽黒山東山=羽田町羽黒山

「アテルイ顕彰の地」の標柱と説明板がある。

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2012年12月 1日

跡呂井(アトロイ)の地

準備中

昔、安土呂井村
奈良時代、岩手県内の蝦夷の最大遺跡
1996年9月から発掘調査が進められていた水沢市の杉ノ堂遺跡(跡呂井二ツ壇地区)
奈良時代の焼失住居跡五棟が発見された。

「胆沢の合戦」大パネル「胆沢の合戦」大パネル

平成10年(1998)5月16日、水沢市(現奥州市水沢)花園町の花園ポケットパークに設置された。
中一弥画「胆沢の合戦」(河北新報社所蔵)は、延暦8年の巣伏の戦いで、馬上で指揮をとるアテルイ とエミシ軍が朝廷軍を北上川に追い落とす場面を描いている。
1980年秋に河北新報社から水沢市にその拡大パネルが寄贈され、跡呂井の地名が残る花園町に 設置されていたが、傷みが目立ってきたことから、ポケットパークの整備にあわせて水沢市が県補 助と河北新報社の協力を得て移設、新調した。当会は記念にシダレザクラを寄贈し植樹した。

アテルイ王記念碑アテルイ王記念碑

平成元年(1989)年9月、水沢市(現奥州市水沢)跡呂井地区町内会が町内の神明社境内に建立。
アテルイ率いる蝦夷軍が五万を超える朝廷軍を撃破した「巣伏の戦い」から千二百年目となることを 記念して、石碑には「古代東北の英雄 アテルイ王千二百年祭記念碑」と刻まれている。
3年に一度開催される「アテルイ歴史の里まつり」は、この碑の前での神事から始まる。

北方の王者アテルイ像北方の王者アテルイ像

平成4年(1992)10月20日、水沢市(現奥州市水沢)常盤地区のストリートシンボルとして製作され、 東大通り三丁目のアテルイ広場の西奥に設置された。
表面に抽象化したアテルイの顔が描かれた大火炎土器の形状で、 高さ約6m、上部直径約3m、下部約2mの円筒形。夜間は赤い目が光るようになっている。
市内の及川哲夫氏の制作で「北方の王者アテルイ」の題名がある。

阿弖流為の郷碑阿弖流為の郷碑

平成6年(1994)5月24日、東水沢地域振興協議会により、水沢市(現奥州市水沢)東大通り三丁 目の「アテルイ広場」の前面に建立された。
石碑は台座を含め高さ1.8m、横2.15mの黒御影石。
表面に後藤晨水沢市長の揮ごうで「阿弖流為の 郷」と刻まれ、裏面にはアテルイ広場の説明と地名(跡呂井)の由来などが記されている。
この石は当会が京都清水寺への碑石候補として大東町の首藤哲夫氏より寄贈を受けていたもので、 同氏の賛意を得て寄贈した。

アテルイ生誕の地の標柱アテルイ生誕の地の標柱

水沢市(現奥州市水沢)の四丑地区の住民95人で組織するアテルイ河川歴史公園を推進する会 が、平成15年(2003)からアテルイの史跡の場所を紹介する看板と標柱の設置に手作りで取り組み、 3年がかりで完成させた。
この「アテルイ生誕の地 跡呂井」と記された標柱は、神明社(奥州市水沢神明町)境内に設置され ている。

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